三浦国際ハーフマラソンを走りました | yumemisaの髄膜腫闘病からの日々を綴るブログ

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アラカン、今年7月で定年退職。おひとり様。2022年3月に髄膜腫と診断され、6月に手術、8月より会社復帰しました。ランニング、旅行、映画、洋楽、フィギュアスケート、ロボホン、大泉洋さんが好き❤️

大変ご無沙汰してます。真顔

 

書きたい事はたくさんあったのですが、12月ごろから鬱になり、

何事にもやる気が出なくなってしまいました。

上司Bと同僚が本当に嫌で、どんどんメンタルをやられてしまいました。チーン

 

どうしようもなくなって、会社の産業医面談を受けることに…。

 

しかし、それを聞いた上司Aが、私の話を聞いてくれて、心に溜まっているものを全て吐き出せてスッキリしましたビックリマークそれからだいぶ元気になってきました。ニヤニヤ

 

会社が嫌なのに、もうすぐ定年で辞めたくても辞められないと言うジレンマで、おかしくなっちゃったみたいです。(あと半年なんですけどね)

 

定年後、嘱託で働くかどうかまだ決めてないのですが、給料の話を聞いたらかなり良くて、やっぱり続けようかなって思ってます。嫌だったらすぐ辞められるしね。(退職金もらった後なんで)

 

 

タイトルの「三浦ハーフマラソン」ですが、鬱でやる気が出なかったので、練習量が全然足りなくて、本当にしんどかったです。こんなに長く感じたハーフマラソンはひさしぶりでした。

 

嫌ならやめればいいのにね。真顔

走り始めた頃はとっても楽しくて、夢中でバカみたいに走ってました。

走らないと気持ち悪い…みたいな。

 

なぜあまり走らなくなったのか?

マラソンを最後に完走できたのは2017年です。翌年の大会では初めてリタイアしました。

その次の年も完走するつもりなく、リタイアして帰りました。

 

そもそもなぜ走り始めたのか?をじっくり考えました。

 

よく聞かれるのです。「どうして走り始めたの?

 

私が走り始めたのは2011年です。

母が亡くなって、東日本大震災があって、居ても立っても居られなくなったからみたいです。

今思うと…。

悲しみや不安から逃れるために、走り始めたみたいですね。

 

そして走る気がなくなってきたのは、2017年くらいからです。この頃は住宅ローンが終わって、心配事がなくなって安心したからですかね。

 

これに気づいて、私は愕然としました。滝汗

 

私のやることはちゃんと意味があるのだなと。(深層心理的に?)

 

なんか支離滅裂な内容になりましたが、私は落ち込むと深い底まで落ち込んで、しばらくすると浮上してくるのです。すると嘘のように元気になるのです。

マンションを買うことになった時も、本当に完済できるのかすごく不安になって落ち込みました。でも覚悟が決まって浮上しました。ニコニコ

 

また走る気力も湧いてきました♪

5月に仙台ハーフマラソンを走ります。次回は練習をしっかり積んで、気持ちよくゴールしたいです。

 

ホノルルマラソンもまたやる気が出てきたので、チャレンジしようかな?

 

私の独り言を読んでくださってありがとうございました。