自然を観察していくと、そこに計り知れない叡智が潜んでいることがわかります。

なるほど、携帯電話もたくさんの叡智が潜んでいて、素人目にはブラックボックスです。

しかし、たとえば、植物のなかに潜んでいる叡智は、携帯電話とは比較にはらないほど、計りしれない叡智が潜んでいるのです。

 

 

植物は太陽の光をエネルギーに変えます。

太陽の光をでんぷんなどに変えます。

植物は葉を落とし、それをみみずや微生物が食べ、みみずや微生物のフンが土になります。

植物はこうして、太陽の光を、地球の大地に変えているのです。

植物のいない、月は石ころだらけで土壌がありません。土壌は植物が太陽の光から作り上げたものです。

 

また、植物は太陽の光を用いて、二酸化炭素を酸素に変えます。

植物は太古の地球の大気の成分を変え、今はその成分を一定に保っているのです。

 

ですから、植物の叡智の中には、宇宙の叡智が宿っているのです。

植物は霊界から地球を作り替え、環境を整える役割を担っているのです。

 

 

 

 

植物は地球の重力に逆らい、宇宙に向かっているのです。

あるいは、宇宙と地球をつないでいるのです。

 

人間の構造物で、植物のような重力に逆らう軽い素材、風に負けない柔軟な素材を作ることは未だできません。

面積に対して、これほどの高さの構造物を作り上げることはできません。

 

人間の英知をはるかに超えた、叡智が植物には働いているのです。

そして、すべての鉱物、植物、動物もまた、叡智から、その役割を与えられているのです。

その叡智は霊界にあります。つまり、すべての鉱物、植物、動物は霊界とつながっています。

 

人間にも、もちろん叡智が備わっています。

霊界は叡智の海です。

そして、人間は老化し、死を経て、叡智の海に帰っていきます。

 

私達が生きて霊界を認識する道が二つあるといいます。

 

ひとつは臨死体験です。

魂が肉体から離れ、霊界を垣間見て、再び肉体に戻ってきます。

荒修行をしたり、薬物を使ったりしてトリップすることが可能です。

 

もう一つの霊界参入の方法をシュタイナーは教えています。

それは感情と思考に沈潜することです。

そのことの意味が、私にはいまひとつわかりませんでした。

 

しかし、私たちに感情を与えているもの、思考を与えているもの、そしてその目的は霊界(精神世界)にあって、人間の進化を促しているものだとすれば、当然、感情や思考を極めた先には、その先の光明に至るはずです。

 

中島みゆきの「誕生」については以前から触れてきましたが、もう一度その歌詞を思い出しましょう。

 

 

 

 

 

中島みゆき「誕生」

 

ひとりでも私は 生きられるけど
でもだれかとならば 人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど

些細な寂しさでつまずくものよ

呼んでも 呼んでも とどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても 待っても 戻らぬ恋でも
無駄な月日なんてないと言ってよ

めぐり来る季節をかぞえながら

めぐり逢う命をかぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
泣きながら 生まれる子供のように
もいちど生きるため 泣いて来たのね

Remember

生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた

Welcome

Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること


ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら

とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも 愛してる意味

Remember

生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた

Welcome


Remember

けれどもしも思い出せないなら
わたしいつでもあなたに言う

生まれてくれて

Welcome

Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

 

 

畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく

 

祈りながら嘆きながらとうに愛を知っている

 

たとえサヨナラでも 愛してる意味

 

恐れや憎しみ、祈る気持ちや嘆き、

それらは感情です。

 

その感情を通じて、

いつか愛を知り、

とうに愛を知っていることに気づいていくのです。

 

感情は叡智の入り口です。

しかし、その入り口は閉ざされています。

私達がその感情を真に体験し尽くすまで、その扉は閉ざされているのです。

 

ところが、その感情を経て、怒りや憎しみを潜り抜けた先に、いつのまにやら、との閉ざされた叡智の扉が啓いていることに気づくのです。

 

中島みゆきが失恋や、満たされない恋心を歌い続けている意味がここにあるような気がします。

 

これが、私たちの道であり、人間に与えられた叡智なのです。

 

畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく

 

祈りながら嘆きながらとうに愛を知っている

 

たとえサヨナラでも 愛してる意味