皆さん、覚醒は進んでいますか?

 

死後の世界とトーラス構造において、死後の世界と生の世界は,トーラス構造をなしてつながっていることを書きました。

それらを、レムニスカートや、陰陽図で示されてきました。

より三次元的に表したのがトーラス構造なのです。

 

 

このような死後の世界を生きている人間がどのように認識できるのでしょうか?

その方法が霊的認識を得ていくことであり、古来から様々な修行方法が伝えられてきました。

 

シュタイナーは、現代人にふさわしい霊的認識の方法を、私たちに残しています。

その霊的認識の手がかりとなるのが「注意力」です。

 

もちろん、日常でも「注意力」が必要であり、注意力を働かせています。

しかし、その注意力はこれまでの生活では十分に発達させることができていないのが実情ではないでしょうか?

 

注意力と集中力と記憶力は同じ根を持っています。

 

たとえば、日常的にテレビをつけっぱなしにした生活をしている場合、テレビの騒音を私たちは聞き流す訓練をしているのです。

いちいち、すべてを受け止めていれば精神的に持ちません。

聞き流しながら、関心のある部分だけを受け止め、注意力をそこに向けるのです。

その生活では、いいとこどりをする癖がついてしまいます。

 

テレビを見る生活をしていると、学校の授業でも「聞き流す」習慣で授業を聞き流すようになります。そしてたまに面白そうな、興味ある話題になったときにだけ、注意を向けるのです。

 

何かに集中しているときは、周りの音や声が聞こえなくなります。

そこに注意が行かなくなるのです。

 

文字を持たなかったアイヌ人は、ユーカラという長い叙事詩を語り伝えてきました。

まさに記憶の伝承を行ってきたのです。

文字を持たないことで、注意力と記憶が発達したのです。

文字に残すことは、忘れるための手段でもあるからです。

 

以前、発明家の方の話を聞く機会がありました。

その発明家は決してメモをしないと言います。

ある原理について徹底的に研究し、理解します。当然そこには注意力が働きます。

発明とは、それらの原理の組み合わせだというのです。

ですから、何かを発明しようと思考しているとき、過去の記憶から、様々な原理を組み合わせるのです。

発明家とは記憶の中の原理の組み合わせの達人だったのです。

 

同じことは建築の設計にも言えます。

 

文字を早く覚えない方が、記憶力が発達するのです。

今では小学校に行く前に、すでにひらがなを読み書きできるのが当たり前のようですが、私は長女に小学校に入学する前には文字を教えませんでした。

 

彼女も文字を習いたくてうずうずしているのですが、小学校に行く前は文字を覚えないようにしていたようです。

そしてようやく小学校(シュタイナー学校)に入って、文字を習うのをとても楽しんでいました。

 

その長女はとても記憶力がよく育ちました。

 

 

私が霊的化学と呼んだものは、外的な方法では得られません。それはもっぱら、人間の魂の中において遂行されます。

内的な霊的作業を行いながら、魂は、日常の仕事や科学研究におけるときのようにではなく、そのときとはまったく違った認識の道具になるように、自己変革を行うのです。

 

霊的化学においては、日常生活の中にも存在する、まったく内的な魂的・霊的行為を実行するのです。

その場合に用いられる魂の力は、日常どこにでもあるような力なのですが、日常では片手間に用いられるこの力を、無限に高め、無尽蔵な力をそこから汲み取ろうとしなければならないのです。

 

その力のひとつは注意力です。

 

注意力とは何でしょうか?

 

注意力が働くときの私たちは、魂の傍らを流れていく生活をいつものようにただ傍らを流れていくままにしてはおきません。精神の目をあれこれの事象に向けます。そしてそのために、心の内部の力を一点に集めます。

ひとつの事象を生活から取り出して、それを意識の中心に据え、魂の力をそこに集中します。

 

霊学を少しでも学ぶと、記憶力が基本的には注意力と同じものであるということがわかります。

 

魂が注意力を活発に働かせるように努めれば務めるほど、記憶力は強まり、ますます集中力を発揮することができるようになります。

 

霊学研究者は魂の力を強めるために、この注意力を特別に発達させなければなりません。この注意力を、瞑想、集中を行うために、あらかじめ深く体験しなければならないのです。

 

霊学研究者は内的要求から、はっきりと見通すことのできるイメージ、気分、意志衝動にすべての魂の力を集中します。

 

その際の集中の仕方は、深い眠りにおけるように、すべての思考や意図や気配り、すべての生活感情をまったく平静にして、すべての魂の働きをその特定の内的対象に向けるのです。

その際、意識を失わず、完全に目覚めていなければなりません。

 

いつもは外から来る刺激に応じて分散させている魂の諸力を、意識の中心に据えた表象、感覚、衝動に集中させるのです。

それによって、魂の諸力がひとつに合わさり、人生の行間でまどろんでいた内的注意力が意識化されます。そして魂が意識的に肉体から引き離されるのです。

 

       ルドルフ・シュタイナー「死後の生活(P13から)」