皆さん、覚醒は進んでいますか?
いろいろと、やらなければならない仕事があって、少し、更新が途絶えてしまいました。
私という言葉について書きました。
この私は「世界の中心」を表しています。
そして、それが中心であるがゆえに、そこに神が語り掛けるのです。
「私」は自らの主体性を示す言葉であり、自らが宇宙の中心と認識する言葉です。
その「私」を主観からではなく、客体とみなすことで、霊的世界への認識に近づくのです。
なぜなら、霊的世界においては、この世界とポジとネガの関係にあるからです。
つまり、私が私を取り巻く外の環境となり、外の世界に存在する「私」を見るのです。
死後には、まさに自分が内側ではなく、外側の宇宙と一体化するのです。
そして、宇宙としての自分が外から自分を見るのです。
このネガとポジとの関係を理解することが、覚醒に近づくための、ポイントのように思われます。
私たちは一方の世界、つまり物質世界だけを見て、それが世界だと認識しています。
しかし、この物質世界の背後に、霊的世界(精神世界)があるのです。
その両方を認識してはじめて世界を認識することができるのです。
その関係がネガとポジです。
そのネガとポジの関係をモデル化すると、トーラスになります。
人間も宇宙もすべてトーラスで成りたっています。#トーラス pic.twitter.com/flgqLplz17
— うたの☆ピタゴラサウンド🌏音叉と音楽 (@utanosolfeggio) October 19, 2020
🟦神の造り出す完璧なサイクル
— GIGUE Continues (@GContinues) July 25, 2023
黄道十二宮の最後の星座(うお座)
トーラスには多くの高度な概念と秘密が隠されています。
この基本的な形は、自然界のいたるところで見ることができ、これはトーラスフィールドの中を循環するエネルギーや天の回転である。pic.twitter.com/WUHPbQHj9q
私たちは外に世界があると認識します。
ところが死後は自分は外側に視点があって、自分を外部の存在として見ているのです。
この関係がトーラスのモデルで表現することができます。
内側だったものが、外側になり、さらに内側に戻ります。
三次元のトーラス構造を二次元に置き換えるとレムニスカートになります。
∞ 無限大の記号です。
これを二色で表現すると、内側のものが外側になり、外側のものが内側に戻るという流れを視覚化することができます。
それをさらに、2.5次元で表現すると陰陽図になります。
銀河もトーラス構造で回転しています。
回転させている力は、水平の銀河に対して上部に力が流れ、球状に回転して内側に戻るトーラス構造です。
私たちの生きている世界と死後の世界も、このようなトーラス構造をすることで、輪廻転生するのです。
物質はいずれ消えて無くなります。
ところがその物質は目に見えない形のエネルギーに転換しているのです。
さらに、目に見えないエネルギーが、ある段階を経て、物質化するのです。
物質化と非物質化は、ネガとポジの関係となって、トーラスを描いて回転しているのです。
銀河の中心はブラックホールであり、すべてを飲み込んでいくブラックホールの裏側にすべてを生み出すホワイトホールがあります。
ブラックホールもホワイトホールも、トーラスの中心であり、入り口をブラックホール、出口をホワイトホールと言っているにすぎません。
ホール、すなわち、穴ですから、物質として存在しているのではなく、入り口と出口である通過点なのです。
死後に私たちは宇宙へと拡大していきます。
そして、その極大点を境に、収縮に向かっていきます。
拡大していくときには、生きていた時に行った行為などを星々に刻み込んでいきます。
そして収縮に向かって、物質化に向かっていく過程で、それらの刻まれた自らの行為に応じて、次の人生での課題となるテーマを受け取り、自らに刻み込み、運命化していくのです。
死んでしまえばすべてがお終いではありません。
無になるのでもありません。
私たちが死後に刻んでいく自らの行為は死後には手を加えることができません。
その結果を次の転生で運命として担うのです。それが因果と言われるものです。
この関係を理解せずに、「今だけ、金だけ、自分だけ」という生き方をしていくと、死後に後悔しても、修復はできません。次の人生で自らの課題として受け止めることで、修復していくほかないのです。
ですから、苦労すること、苦難に立ち向かうことは、死後には人生の実績となるのです。
豊かな物質に恵まれ、欲得で生きていると、人生での学びが十分に達成できずに次の課題を残します。
ですから、幸福と不幸もまた、ネガとポジの関係を持ち、この世での不幸は、あの世での実績となり、この世での幸福はあの世では学びの足りなさとなるのです。
ですから、苦難が訪れた時は、その苦難に感謝し、その苦難を超えていくことで大きな学びとなるように努力すべきなのです。
苦難から逃れようとしたり、自分を不幸で運がないと人生を呪ったりせず、苦難こそが人生のギフトであると考えるのです。