私は「覚醒統合への道」という記事において、

ワンネスには2つの領域がある。

と書きました。



今回は、私の考える、ワンネスの2つの領域について

詳しく解説していきます!



『覚醒統合への道⭐︎①覚醒統合したらどうなるの?』私は9年ほど前に、覚醒体験をして、"ワンネス"を体感しました。『私の覚醒体験【前編】潜在意識との出会い』私の覚醒体験(一瞥体験)について、これから何回かに分け…リンクameblo.jp




覚醒統合する際に

ワンネスの領域を2つに分けて考えることで、

自我とワンネス意識との統合に成功しました。




この、ワンネスの2つの領域とは何か?

語っていきます。




最初にお伝えしたいのですが、

このワンネスの領域の分類は私独自のものです。





宗教や学問において、この領域の区分は

他にもいろんな表現の仕方があるのですが、



私は説明できるほど詳しくないので、

あえて「ワンネスの2つの領域」という表現方法をとりたいと思います。

 





まず、「ワンネス」とは何か、なんですが、

「私はあなた、あなたは私」に代表される、

自他一体の概念を支えているもの。

「すべては一つ」である世界観です。





本来のワンネスは

この「すべては一つ」という世界観だと思います。





私が

覚醒体験をした時は、2つの異なる体感を得ました。



一つ目は、

①「圧倒的な愛を感じる至高体験」


二つ目は、

②「すべてが一つであり自分すらもない、無の感覚」




これはそれぞれ"ワンネス"と言われているものだと思っていたのですが、

二つはかなり違う感覚でした。



波動の観点から表現すると、

二つの領域の周波数が違っているような気がしています。




本来での

ワンネスの意味と同じ、

「ワンネス意識」は②無の領域であると思います。



だから、①愛の領域は厳密に分類すると、ワンネス意識とはちょっと違うのだと思います。

 



なぜなら、

「愛」というのは「自我」をもたなくては感じないから。



②無の領域ではまさに「無」です。何もありません。






私は①愛の領域をどのように表現したらよいのか言語を持ちません。




なので、あえてワンネス領域を2つに分けて、

より周波数の高い本来のワンネスを「無の領域」、

少し周波数を落とした至福の領域を「愛の領域」と定義します。




周波数の高さは、こんな感じ


ワンネス  無の領域 ②

      愛の領域 ①

---------

自我("自分"であるという意識)


エゴ(ネガティブな観念や考え)※

※この分類も私独自のものです。




さて、ここで、ワンネス意識と自我意識について

解説します。





ワンネス「無の領域」にいる場合、自我意識は、

基本的には強く機能しません。




「すべては一つ」なので、

何も無いのです。

自分さえも。




この領域に深く入っている場合、社会生活は難しいと思っています。



なので、

いきなりこの無の意識と自我意識を統合していくのはかなり難易度が高いです。

 



例えば、

自我意識の場合。


目の前に人が現れた時、

自我は「ご近所さんだ」と判断します。

自我は「挨拶してコミュニケーションをとったほうがよい。」と判断するかもしれません。

その場合、自我から「こんにちは」と言う行動をするかと思います。




一方、

ワンネス意識のほうは何も判断しません。


「人が歩いてきたように見えている」

「あの人は私である」

「その私でさえ、ないもの」

「何もないがただ見えている」


そんな感じです。

これらの思考は流れてくるものであり、

同時に受け流すものでもあります。

思考すらないかもしれません。

これらはただ浮かび上がってくるものであります。

何もかもが有り、何もかもが無い世界です。





どちらの意識も、周波数が違いすぎて

そこに接点がありません。




個人的には、

ワンネスの無の意識は「ときどきアクセスすることで利用する」のには便利なものでもあるけど、

常時発動すると社会生活が送れないと思っています。


 


テレビゲームに例えると、

プログラマーの視点になってしまってるのに近いかなと思います。



ゲームの中の登場人物でありながら、

今目の前にある現実世界がゲームであることを知っている。

これはただの数字の配列であり、実際には存在していない。

そして、自分もまた配列の一つにすぎない

と気づいてしまってるんですよね。


「何で魔王倒しに行くの?魔王なんて存在しないじゃん」「ま、俺も存在しないけど」みたいな感じ。




※この例えはほんの少し本質からズレているのでわかりにくかったらすみません。




さて、そこで!!!

ワンネス意識と、自我意識のギャップを埋めていく方法を考えました!!爆笑爆笑爆笑



それは、

ワンネスの(少し下の周波数である)「愛の領域」にアクセスし、

こちらと統合することです!!!!




  

ワンネス意識(無)と自我意識では接点がなかったのですが、




ワンネス意識(愛)と自我意識には接点があります。


それは、


「自分」という存在です!!!!!




「自分」という、少しだけ全体(ワンネス)から分離したものを認知することによって、



自我意識とワンネス意識を繋ぐ接合点を作ることができます!




物資を運ぶ「中継地」みたいなものですね!




この中継地を使えば、

あなたは3つの視点から物事を捉えられるようになります。





ワンネス(無)

「そもそもすべては一つ、自分=世界。他人も自分も存在しない」


ワンネス(愛)

「自分も他人も、世界の全てを愛してる!!!!」


自我

「自分は自分。他人は他人。」





この異なる価値観を全て内包し、

現実世界を生きるためにその時々の場面で、それぞれ場面にあった自分なりの価値観を使い分けられるようになること。




これが私の考える、

「覚醒統合」の境地です。

 



3つの価値観と言いましたが、

現実世界の思考でははっきりわけて使うと言うよりも、グラデーションのように混ぜて使っている

(思考している)

という表現が適切です。


例えば

赤🔴、青🔵、黄色🟡のグラデーションで、

いつもは混ざっているけど、時にちょっと赤く、時にちょっと青く、時にはすごく黄色!みたいな感じです。





意識すればはっきりとエネルギーを分けられますが、

いつもはっきり分けているわけではなく、

ふんわりとしたニュアンスで使い分けています。


(常に分けて考えてたら疲れちゃうしね笑。)






例えば、「愛の領域」との一体化が強くなった自我は結構、「感動」します(笑)




だって、ワンネス意識(無)では自分が世界と一体で、すべてが一つだったのに、

「自分という存在を認識できる自我」があるのですよ!?





目に見える世界も自分とは分離したものとして見ることができます。


ゲームを始めてプレイした感じですね。


「"私"が動いてる!」

「すごい!背景キレイ〜!」

「他の登場人物が可愛い〜!美しい〜!」



自分とは別の個体として、他人や世界を見ることができるのです!

(なんて素晴らしいんだ。。。泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ感動)



その時点で、悪役とか出てきても、

「この悪役のセリフすごくかっこいいなぁ〜!」

とか、

「この悪役強くて倒せない〜!(難しいほど面白〜い!!)」

となります。




必要があれば、私がこのブログを書いているように、

「強く他人の存在を意識する行為」も容易にできます。




他人が「他人」として強く自我を脅かす存在に見えてしまうことがあれば、



「愛の領域」に意識して戻ってくればいいのですから。




(私は感謝の感情を再起させることで戻ってますが、熟練者はきっと行き来がもっとスムーズでしょう!)


やり方↓




自我を少し落とすことで

「無」の領域にアクセスして、俯瞰で見るのもいいですね照れ







生き方として、


ワンネスの

「無」の領域にずっといて、ゲーム自体を俯瞰で見ながら過ごすのもいいことだと思います!



一方、私は、

「せっかくだったら、ゲームの世界を楽しみたいな!

自我のおかげでゲームを楽しめて感謝!」

みたいな気持ちで毎日過ごしてます笑





私のブログで矛盾した表現があるのは、

この3つの領域を使い分けてブログを書いているからです。




矛盾があってもいい!

(だってそもそも全然違う周波数の価値観だもん!)

だから、

矛盾を丸ごと受け入れる!




こんな気持ちが覚醒統合に繋がっていると思います花花花




ちなみに、、、


この内容を読んで、

「そっかー!なるほど!」とか、

「何を言っているのかわかる」



という方は、もう覚醒してると思いますおやすみ(もしかしたら覚醒統合されてる方もいるかな?)



覚醒ってどうしても

神秘的な体験にフォーカスされてしまってますけど、

私の感覚では


価値観の変容です。



神秘体験のように感動が大きな体験になるのは、

変化した価値観の違い(周波数の違い)が大きかったからでは無いかと思います。



例えば、文化の違いみたいなものです。


インドと日本では、全然価値観が違うから、

日本からインドにいきなり行ったらびっくりする!!

という感じです。


逆に文化が近い

日本と韓国なら、似ている部分があるから、

あっ!そうなんだ〜!くらいでわかりやすくなる。



そんな感じです。



細かく意識や価値観を変容させて来た場合は、

特に衝撃的な体験として記憶に残らないのでは無いかと思います。






「体験」に固執せず、

覚醒者の言葉を繰り返し読んで、

その内容が感覚的に理解できるようなら、

覚醒しているのではないかな?と思ってます!




覚醒とか興味ない方からしたら、

この文章ちんぷんかんぷんで何を言ってるのかわからん!!ってなるのではないかと思います汗うさぎ



以上です!



今日もお読みいただきありがとうございましたスター

愛してまーすハートハート