理由なんていらない
僕は昔から、困っている人を見ると放っておくことができません。僕に助けを求めているわけではないのに、とにかく放っておくことができない。へたするとおせっかいともとられるでしょう。
それでも僕は見過ごすことができないのです。
まあこれは岡田家で受け継がれるDNAみたいなもんです。
この放っておけない体質のせいで、高校3年生のときにはクラス全員からシカトされる羽目になりました。いじめられている友達を助けたおかげで、僕がいじめの対象になったわけです。放っておけばいいのに。何度も心では思いましたが、それを僕自身が許すことができなかったのです。
1年間、クラスのみんなからシカトされる。それはほんとうに辛かった。自分の性格を恨むこともありました。でも、僕はけっして後悔はしていません。もしもあのとき放っておけない体質を封印していれば、きっといまでも小さな棘が心に刺さったままになっているでしょう。
実はこのシカト事件には後日談があります。
高校3年生の終わりころ、クラスのみんなは進路が決まっていた。良くも悪くも、高校生活からは解放される。あと少しで卒業式。そんなとき、クラスの三人の友達から電話がかかってきたのです。
「岡田、ほんとうにごめん。岡田と一緒に遊びたかったんやけど、やっぱりいじめられるのが怖くて無視してしまった。僕らはずっと岡田のことを心配していたんや」と。
この言葉を聴いたとき、僕は胸が熱くなりました。
そして、僕がやったことは間違っていなかったと思えたのです。彼ら三人もまた、放っておけない体質をもっていた。でも、それが僕ほど強くなかっただけなのです。
「受験が終わったら、授業をさぼって遊びに行かへんか」
卒業を間近に控えて、僕はクラスに戻ることができたのです。
『それでもなお、人を愛しなさい』
という一冊の本があります。
ケント・M・キースというアメリカ人が書いた本です。彼は本の中で、「逆説の10ヶ条」というものを提示しています。その10ヶ条の一つにこういうものがあります。
「人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。」
僕はこの一文を思い出しました。困っている人を助けることに、躊躇などする必要はありません。まるで息をするように手を差し伸べる。そんな心の連鎖が、きっと人々の絆を強くしていく。そういうことだと僕は思います。
ある社長さんが言った言葉。
「頑張っている人間を応援するのに、理由などいらん」
まったく同じことだと思います。
「困っている人がいるのなら、助けを求めているのなら、その人に手を差し伸べるのに理由などいらない」
僕は自分がもっている放っておけない体質を「ゆめのたね」のメンバーにも伝えていこうと思っています。そして僕は信じているのです。
きっとすべての人間の心には、放っておけない衝動が宿っていることを。
SNSを超える第4の居場所より
SNSを超える第4の居場所とは【目指すは世界一のコミュニティー】
一人ひとりが自立する。
そんな大げさなことじゃなくてもいいんです。この場に来ることで、少しでも自分自身が成長できれば良い。
たとえ一歩でも前に進むことができればいい。僕はそう思っています。
たくさんの人と関わっていくことで、人は自分を振り返ることができます。
たくさんの人と心振り合わすことで、人は少しずつ強くなります。
少し自分が成長すれば、その分だけ人に対して優しくなれる。
自分を視聴するだけでなく、みんなの主張に耳を傾けることで、きっと心がほぐれていく。僕たちは直接的にみんなに何かをしてあげる事はできません。
ただ「がんばりや」と言う言葉をかけることしかできない。でも、その一言で前を向くことができる人がきっといる。
そして、ここにやってくる人たちみんなが、互いに「がんばりや」と声をかけ合う。そんな場になれば、それだけで僕たちは嬉しいのです。
ゆめのたね放送局を通してほんとうにたくさんのご縁をいただいています。多くの人たちが、僕たちの存在に気づき、僕たちがやろうとしていることを理解してくれている。そして僕たちのところに集まって来てくれるのです。
僕のセミナーにもたくさんの人が来てくれるようになりました。
ラジオ相方大輔くんがやるイベントの価値もどんどん高まっていきます。
そうです、僕たち2人もまた、この場に落ちていた種を拾ったのです。
現在は全国7カ所にある「ゆめのたね放送局」ですが、いずれは47都道府県すべてに開局できればと思っています。いや、インターネットという手法を使えば、世界中に放送局をつくることも夢ではありません。
世界中に「ゆめのたね」というコミュニティーを創っていくこと。それは大きすぎるほどの夢ですが、僕たちはその夢に向かって歩き始めたのです。
だって、応援することに国や人種の違いなんて関係ないですからね。
世界中で頑張っている人、悩んでいる人、悲しんでいる人、そんな人たちの心に届くような「場」になりたい。必ずできる。と僕と大輔君は「アホみたいな希望的観測」を持ちながら歩いているのです。
常識か非常識かは「あなた」が決めている
自分の生きてきた出来事の範囲内でついつい考えがちやけど、自分とは違う人と出会うことで枠が広がり、価値観も変わり見える世界が変わってくる。僕は10代20代で本当に素敵な大人と出会うことが出来た。その時のエピソードを書かせていただきます。今自分は何歳だからとかは関係ない。今が人生で1番若いのだから。
以下、社長になりたくてもがいていた学生時代の僕のエピソード。
「どこに行けば社長さんに会えるんですかね」
友達や先輩に聞きまくりました。
するとある友人が「ディスコのVIPルームに行けばいるんとちゃうか。近頃はディスコで遊ぶ社長が増えていると聞いたことがあるよ」とアドバイスをくれたのです。
「ディスコ?」
そんな都会的な場所には行ったことがない。少なくとも地元の奈良にはそんなものはありません。ディスコとはいったいどんなところやろう。VIPルームって、いったいなんや。きっとディスコの中は小さな部屋で分かれていて、その中の部屋の呼び方の一つやろ。まあええ、とにかくそこへ行ってみよう。
翌日さっそく、僕は梅田にある有名なディスコに行きました。
入口に立つと、そこは別世界。金色に輝くヒョウの置物が二体こっちをにらみつけている。これはやばいところに来てしまった。
入口には真っ黒なスーツで身を固めた男性が2人。僕の姿を見るや否や、二人はすぐに通せんぼの体勢に入ります。
「お客様。その服装では入店できません」
そのとき僕はジャージ姿。というよりも、当時の僕は何をするときもジャージでした。よそ行きのジャージと寝間着用のジャージ、そしてもう一つはデート用のジャージ。ジャージの三段活用で日々を送っていたのです。
最初のディスコトライはあっけなく玉砕。さっそく黒のスーツを買いに行き、今度こそはと再び乗り込んでいきました。今度こそディスコのVIPルームとやらに入る。そう信じて疑いませんでした。
ドアを開けると、またあの二人が通せんぼの構えで僕を迎えます。僕は言いました。
「VIPルームの中にいらっしゃる方に用事があってきました」
「どちら様に御用でしょうか?」
「今から出会う人です」
「まだ出会ってないんですか?」
まるで漫才みたいなやりとりです。
係のお兄さんたちも「こいつは、頭がいかれてるな」と思っていたでしょう。
こんな状況で入店できるはずはありません。
「お帰りください」と言われながらも、必死になってVIPルームに行かせて欲しいと頼みました。でも頑として聞き入れられません。
やっぱり無理かと諦めかけたとき、奇跡が起きたのです。
僕たちが押し問答をしているところに、三人の人物が入ってきました。
上品なご夫妻と一人の男性。三人は僕のほうにちらっと視線を向けました。
すると、男性が僕に言ったのです。
「まあ、あなた可愛いわね。VIPルームで一緒に飲まない?」と誘ってきました。
この方はゲイの雰囲気の方でしたが、入れるなら喜んで!と、僕はVIPルームに入ることができたのです。
なんと、先ほど通り過ぎて行ったご夫妻はディスコの社長と奥様で、僕を入れてくれた男性は社長室室長でした。
僕はVIPルームに入り、社長と奥さんのMさんと出会ったのです。
僕はそこで一生懸命に夢を語りました。もっともっといろんなことを学びたい。自分を成長させて、なんとしても成功したい。将来社長になりたい。二十歳にも満たない若者が語る妄想のような夢です。僕の想いを一生懸命しゃべりました。
その僕を見ていたMさん
「あんたー、顔近い。暑苦しい。なんかイライラするわ。何しゃべってるかようわからんわ」
第一印象はこんな感じではありましたが、Mさんとの出会いが、その後の僕の人生に大きな影響を与えることになったのです。
常識か非常識かは「あなた」が決めている
Mさんは会うたびに、
「顔近い。暑苦しい。」と僕に説教をしました。
Mさんは自分らしい生き方をしているけれど、とにかくわがままで好き放題言いたい放題でした。
でもそれがかっこいいと思いました。
人に合わせるんじゃなくて、自分の思ったことを主張して自分のやりたいがままに生きている。
当時から生け花の先生で、お花の道に一生懸命。それも自分流を確立されていました。
世の中の枠にあてはめて生きるのではなく、自由に生きるMさんを見たときに、僕の中の常識や既成概念がぶっ壊されました。
僕の常識はこの人にとっては非常識、この人の常識は僕にとっては非常識。
常識非常識の壁なんか壊しなさい!価値観を広げなさい!器をもっと大きくしなさい!そんなことを直接言われた事は無いけれど、Mさんの生き方を見ていたらその考え方もしっくりきました。
生花も、豪快さも、思ったことをそのまま言うのも、全部自分の生き方として誇りを持っているんだと思います。
MさんはBMWの赤のオープンカーに乗っていて、それがすごくかっこよくて大学一回生の僕は憧れていました。
「僕もいつかBMWに乗りたい!」と言うと
Mさんは
「いつか乗れるわよ。私と一緒にいるんだから。私、運いいから、あなたも運が良くなるわよ。オーホッホッホッホ」
と笑っていました。
僕が大学4回生の時に、突然電話が鳴り
「尚起、アルバイトしない?」と連絡がありました。
関西から東京に引っ越すことになったMさんが
「BMWを大阪に置いてきたから、東京まで届けてよ。鍵は家に送るから」
と言ったのです。
BMWに乗りたいんだったら、まずは乗ること。
夢を叶えたかったらまずは体感しろ、ということを教えてくれたのでした。
本人はそこまで深い気持ちはなかったかもしれませんが、僕はそう思いました。
東京に届けるために初めて乗ったBMW。
エンジンをかけた時の感触。
「これがBMWのエンジンかぁ!」と、あの感動は忘れません。
これは余談ですが、BMWのオープンカーに乗り東京に向かっていると大雨が降ってきました。でも僕はオープンカーにしたまま。
BMWの皮のシートは雨でべちょべちょ。
高速道路でそんな状態で走っている僕を見て、トラックの運転手さんが爆笑しながら僕を抜き去っていきました。
恥ずかしいし、シートはべちゃべちゃだし、でも屋根をどうやって閉めるのかがわからない!焦っていました。
東京についてスーパーを見つけたので、急いでトイレに行ってトイレットペーパーを拝借して皮のシートを拭きました。
そしたら、トイレットペーパーが溶けてネリネリになって皮にいっぱいくっついてしまって、さらに焦りました。
すぐにタオルを買って、なんとかきれいに拭くことができて、無事Mさんに車をお届けすることができました。
後々知ったことですが、あの屋根はボタン式ではなく手動式だったそうです。
BMWに乗った記憶と感覚と感動が社会人になってからも忘れることなく、30歳になった頃、仕事も軌道に乗り、僕はBMWを購入することができました。今思えば、大切な愛車をどんくさい僕に貸すMさんの大きさを感じます。
Mさんは僕が会社員時代に副業でやっていた化粧品のお客さんになってくれていました。
でもある時あっさり解約されました。
「尚起はそこそこいい感じになったから、今度は他の子のところで買うわね。同じメーカーで頑張っている子がいるから」
普通なら僕に気を使って解約はしないだろうが、Mさんはそんなことよりも、応援してあげることを当たり前にする人でした。
すごくかっこいいと思います。
でも、「応援してるんちがう。そんなん思われたくない」と言います。
きっとシャイなんでしょう。
まさに『頑張るやつを応援するのに理由はいらん』です。
ほんまに姉御っぽい人だ。
Mさんは社長の奥さんだから成功したのではなくて、この生き方考え方だから社長の奥さんにもなったし生花でも成功しているんだろう。
Mさんは僕に「あなたはね、私にとってイライラする存在なのよ」といつも言います。
でも、僕が倒れた時に一番心配してくれたのはMさんでした。
僕の体を治してくれたお医者さんを探してくれたのもMさん。
その時、手術で入院している僕に届いた沢山のひまわりの花には、Mさんからの手紙が添えられていました。
そこに書かれた短い言葉。
「太陽のような尚起。早く元気になってね。」
出版した「SNSを超える第4の居場所」より抜粋



