福山雅治のオールナイトニッポン
「スタジオライブリクエスト」
1995年1月17日。 起こった日である。
この日の ”福山雅治のオールナイトニッポン”は 大阪からの生放送。 私も、いつものように 午前3時までラジオに 耳をかたむけていた。 その放送終了数時間後、 信じられない事が起こった。
その日、大阪にいたましゃは 体で揺れを感じたという。
その翌週から オールナイトニッポンの中で というコーナーを設け ギター1本で歌い続けてきた。 こうして毎週歌っているは 誰の為でもない。 と、ましゃは言う。 リクエスト なのだ。
そして長年放送されてきた ”福山雅治のオールナイトニッポン” が終了。 それと同時に ”俺スタ”も終了したわけだが その後も、 この1月17日が近づくと HPの掲示板に メッセージが書き込まれたりしていた。 このようなことが少なくなり なっているのかもしれない。 でも私は私なりに、 この日のことを残しておきたくて このページを作ったのです。 終ってしまったけれど ”オレスタ”は終わらない。 最初の場所を 神戸からスタートさせた。 そして、その後。
「俺のスタジオライブリクエスト」 が復活。 そして 2004年9月。 2004年9月27日から放送された 「わかば」の主題歌を歌うという形で。 宮崎と神戸を舞台としたもので、 家族のこころの再生を 成し遂げるまでのお話である。 「俺のスタジオライブリクエスト」 のことが真っ先に脳裏に浮かび。 そして、 ましゃがこのお仕事を 引き受けた背景と思いを 感じとることができて その、福山雅治の思いが こめられた曲のタイトルは もう泣きそうだったのに。。 やっぱり泣いてしまいました。 でも、繰り返し繰り返し 何度も聴いているうちに あたたかくなっていく 自分がいました。 あたたかさに包まれて 護られている感じがして。 なれる自分がいます。
そして 日々の生活に 頑張れている自分がいます。
~最初の一歩は自分から歩きだそう~ テーマに書きあげたこの作品。
何ものでもなく。 それと同時に、このお仕事は 出来るものだと思い。
出来ないものだと思い。 コツコツと積み重ねて来たものが、 来ているような気がします。 ましゃが言う 「自分なりの立ち位置」で 出来ることを キチンとした形で表現し そんなましゃを すごく誇らしく思い。 そして めぐりくる1月17日という この日。 いったい何ができるんだろう。 いったい何だろう。 重ねてきた歳月というものは
いろいろな思いが交錯する日 でもあり。 そして と思っています。 でもあるのです。 |
この「俺のスタジオライブリクエスト」
というコンテンツは...
その阪神淡路大震災の起こった
1995年1月17日放送の
「福山雅治のオールナイトニッポン」
から現在まで。
福山雅治が毎年、
この日のことを、
語り歌い続けているラジオレポートです。
この1月17日という日が
くるたびに。
そして
ふと思い立った時にでも
ゆっくりと、
見て感じていただければ
幸いです。
1995年1月17日
阪神淡路大震災が
起こる直前の
福山雅治のオールナイトニッポンの
ラジオレポート
はコチラ
翌週の
1995年1月24日
被災地へと向けて歌い続けた
福山雅治のオールナイトニッポンの
ラジオレポート
はコチラ
福山雅治のオールナイトニッポン
〜俺のスタジオライブリクエスト〜
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