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赤の他人の、それも母親の恋愛話なんて、誰が聞きたいんだろう(笑)


母は私が30歳の時、55歳で亡くなった。

若い頃のリウマチ熱が原因で心臓弁膜症になった。

心臓の4つの弁のうち2つが機能していない状態で33歳の時症状が出て(私の記憶では鼻血が止まらなくなり、白いバスタオルが真っ赤になってた)地元の病院で、このままだと、5年もつかどうかと言われたらしい。

あのネットなどない時代に父が本を読みあさり、東京女子医科大学の何とかという教授が『人工弁』を使った手術をやっているという情報を知り、青森くんだりから手術を受けに行った。

40年以上前の医療で、成功率20パーセントという、心臓を止めて行う手術だったらしい。


手術後も健康体になったわけでもなく、人生の後半は色々な合併症との戦いだった。


そんな母、昭子(しょうこ)ちゃんは、中学の時担任の先生と付き合っていた。

付き合うと言ってもお花畑に腰を下ろしてお話するといった程度だったと思うけど(母親に「ねえねえ、チューしたの?」とか聞けん)高校卒業したら結婚しよう❤︎と約束していたらしい。

小さい村でまもなく両親の耳にも入り、反対された。

反対の理由は、貧乏なうちの5人兄弟の長男で、結婚しても苦労が見えている、ていう理由。

そして、中学の卒業式の後、家に軟禁状態になってしまったんだと。

黒電話すらない時代だよ。

「よよよ…悲しい」と打ちひしがれる昭子ちゃんに同級生が先生から託された手紙が届いた。

なかには「一緒にこの村を出よう、いついつ、どこどこで待ってる」という内容が。

か、か、かけおちーニヤニヤニヤニヤニヤニヤびっくりマークまじか。


昭子は考えた、考えに考え抜いて、その日その場所には行かなかったえーん

行ってたらあたし産まれてなかった、あふー。


その後、その先生とは1度も会うことはなかった。

私が大人になった頃、その先生が近くのの中学に校長先生として赴任してきたらしい。

母はどこからそんな情報を?

毎年新聞で教職員の異動を密かにチェックしてたんだろうな。け、な、げ♡

わたしが、「せっかくだから会ったら?わたしが連絡してあげるよ、昔話でもしたらいいよ」といったのだけど、病気をして綺麗じゃないし、こんな姿見せたくないよ、って言った。

そっか、いくつになっても恋する乙女ちゃんなんだな。

ずーっと好きだったんだろうな。

あ、ちなみに約束の場所に行かなかったことは後悔していない、と言っていた。


結局会わずに死んじゃったのかよ〜ぐすん


そんな昭子ちゃんの55年の人生。


しあわせだったのかな?