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50歳になった時に「50歳になってロック歌っててどうよ」
と、これから先のことを考えて津軽民謡を習った。
最初は気軽な気持ちでカルチャーに見学にいったのだけど、なんか突然
DNAのスイッチがカチャリと入った感覚だった。
母のおじいちゃんという人は、いわゆるエンターティナーで、歌うは踊るは三味線弾くはと
村でも有名人だったらしい。
しかし母が私を妊娠する前に脳卒中でいきなり亡くなってしまったらしい。
わたしにも、少しはその血が流れてるのか、歌は三度の飯より飯が好き(Byマキシマムザホルモンの女の人)
踊って、全身で感情を表現するのが何よりの快感。
三味線は弾けないけど、楽器を演奏するのが好き。
民謡の師匠が言うには、津軽民謡を覚えれば、着物1枚でいくらでも稼げるらしい。
あらいいじゃん、何かあった時に自立出来る。
しかし、その道は険しかった。
あたしが思うに、津軽民謡は、ヨーデル、ホーミーと並ぶ、世界三代難しい曲!と言っていい。
師匠の歌を録音して毎晩何度も何度も聞いても、さっぱり意味がわからない。
節回しがどうなってるのか真似出来ない。
それでも2年半通い続けて、一連の津軽民謡は下手くそだけど歌えるようになった。
津軽五大民謡
じょんから節
あいや節
よされ節
小原節
三下り
特に三下りが好きで、特に練習した。
南部俵持ち歌や、土佐の砂山、りんご節、etc
いっぱい覚えた。
でも、自分では全然納得できなかったまま、辞めてしまった。
最初は毎年恒例の王座決定戦に出たい、と意気込んでたけど、なんぼもしないうちに無理だと判断した。
王座を取る人とは、民謡1家に生まれ、幼少の頃から常に民謡が生活にあり、その世界でもサラブレッドと言える人。
または、若くて美人で、これから世界に津軽民謡を発信して行ける人。
大御所と呼ばれ、そろそろ生きてるうちに王座あげとかないといけない人。
あ、すべて、わたしの偏見なので関係者の方怒らないでね。
実際、津軽民謡に魅了され故郷を捨てて、青森に移り住み仕事をしながら修行をしているがんばり屋さんも沢山居ます。
とにかくわたしは挫折。
師匠は営業の話も沢山振ってくれましたが、人様からお金を頂ける歌は歌えないレベルだったので、その都度お断りさせて頂いてた。
でも、大会に出たりして、あの緊張感は今でもわすれない。
それに、大会に出ると、体育館みたいなところで、自分で着付けしなければならないので、着付けも習いました。
二重太鼓まで結べます。
今は左手がアレで無理かもしれないな~
自分で頑張って着付けした。
大会の結果は箸にも棒にもかからず
何事も経験。
着物大好き。
着物の小物も大好き。