脳出血の記事はこちらから~⤴︎


退院して暫くはロックはおろか、音楽を聴くことが出来なかった。


脳出血になるまでは、わたしなりに仕事へのプライドやライフスタイルの理想があったけど、入院して、すべて他人のお世話にならなければ何も出来なくなった時、わたしのアイデンティティは紙くずのようにくしゃくしゃに丸められて部屋の隅にポーンと弧を描いて捨てられた。


退院しても、紙くずはしばらくそのまま放置されてた。


その頃コロナはまだ5類にはなってなかったけど、もうかかっても、死ぬような病気ではない事がわかり、徐々にあちこちでライブの告知を目にするようになってきていた。


バンドのメンバーには入院当初から「適当にボーカル入れて活動続けていて」とお願いしていたけど、みんな、わたしの復帰を待っていてくれた。


「今はヘナチョコだけど、目標を決めてなんとかしなきゃ」とは考えてた。

今までライブで歌ってた曲はとてもじゃないけど無理だった。


一度麻痺してゼロになった腹筋は中々もどらない。

肺活量だって、発症前は上半身全部が肺、のイメージだったのが、くるみ(は、あんまりか)テニスボールくらいに縮んだ気がしてた。


ロックは無理だから練習がてらYouTubeのカラオケチャンネルで歌謡曲を練習し始めた。

でも、日本語の歌詞はやばかった。

自分にささるフレーズを歌うとたちまち号泣なのだ。


顔をグシャグシャにしながら歌ってた。


息が続かず、声も出ず、情けなくて情けなくて、歌うのが辛くなってしまった。


このままバンドをやめたら何も悩むことなく楽になるだろうな。

「もう歌えないからやめる」って一言言って、目を閉じて耳を塞げばすむのだ。


でも、それは出来なかった。


頑張って練習した。


強い女になりたくて、高嶋ちさ子のインスタをフォローしたり、沢山食べるギャル曽根の映像を見たり。


たまたまYouTubeのオススメに出てきた、lovebitesにハマった。

綺麗な女の子達がバリバリのハードロックをやってた。

この子達⤵︎


ライブのブルーレイ買って一日中流していた。



復帰は次の年の5月のセッションライブ、と自分で決めた音譜


中々ステージ復帰までいかない。

今日はこの辺に致しとうございます。


フォローお待ちしてますお願い