脳出血のお話はこちらから順番に見てね
今日は高校時代の、私のバンド活動の原点のおはなしをします。
高校の時Rちゃんと友達になりました。
あの当時学校は土曜日も午前中授業がありましたのよ。(半ドンと言われてました)(大昔、お昼にドンって大砲ならした名残から)
授業が終わると毎週反対方向の汽車に乗り(電車でも列車でもなく、こっちでは汽車という)(注釈多すぎ)Rちゃんの家に遊びに行ってました。
2人でオムライスを作って食べ(Rちゃんちは両親共稼ぎ)(だから注釈が⋯)
2人でピアノを弾いて遊んだり、チープ・トリックの曲をハモったり。
バンドやりたいね~の話が出て、クラスの、どうもバンドやってるっぽい男子に声をかけました。
なんか、やってるっぽく、場所を聞いて押しかけることになりました。
そこはいろんな高校のロック好き男子のたまり場みたいになってました。
適当に音を出して、知ってる曲ならあたしかRちゃんがキーボードひいたり、歌ってみたり。
そのうち、ボーカルの女の子が来るようになりました。
地元の進学校の子で、いわゆるぶっ飛んでる系の子でした。
お昼はその子と近くの喫茶店でピザトースト食べながらタバコを吸ってました。
しょっぴかれなくて良かった。
だんだんRちゃんは来なくなりました(分別ある子だ(笑))
行ったり行かなかったりダラダラしてるうちにライブやる話になり、毎週集まるようになりました。
あたしは、その時、母が心臓病でほとんど家事ができず、食事は父が作っていましたが、掃除と洗濯はわたしが休みにやっていたので、とても毎週は行けず、結局Rちゃんがあとを引き継ぐことになり。
ライブは見に行きました。
Rちゃんはデープパープルの「ウーマンフロムザトウキョウ」のピアノソロをかっこよく弾いていました。
何分昭和54.5年の頃の話なので、はなしが全然違う、とRちゃんがみたら言うかも知れない。
記憶って書き換え可能ですよね。
わたしの高校の時のバンド活動なんて、誰が読みたいんだろう。
Amebapickでもはるか~
なんか、貴婦人の傘的なやつ〰️