あれから42年。

 忘れもしない、母の突然の死。

 事故死でした。

 青天の霹靂ともいえる全く予期せぬ出来事に驚く暇もなく、ただ茫然と時間を過ごしたことでした。

 この年は鴨田体育会で投げていたころで、土佐闘犬センターとの延長16回0-0の引き分け、その2日後に再試合があった年です。

 今年は母の43回忌を迎え、法要をします。

 時間の経過は速く、ついこの前のように思い出されるのは心の衝撃が大きかったのでしょう。

庭に咲いていた「鉄線の花:クレマチスの一種」の紫色が脳裏に焼き付いています。

 もし、母が生きていれば私の人生は少し違ったような気がするのですが、37年間の自分の歩みは変化に富み忙しく過ごしました。

夢には何回か出てきてくれたのですが、何かを語ることはなく、私の行動を優先して、見守ってくれているようです。

 母の年を超えて生きている自分は、これからどう生きるべきか考えることが多くなりました。

今週の土曜日にご先祖がお世話になっているお寺に行きます。

 母の思いを聞いてみようと思います。