私はもともと期待の鬼みたいなところがあって(笑)
勝手に人に期待をかけ、うまくいかなかったら
激しく落胆するということを繰り返してきました。
一番の被害者は旦那さんです (; ^ω^)
「期待を手放す」というようなことを何度も耳にし、
手放そう、手放そうと頑張っていた時期もありました。
でも、結局意識しないとすぐ期待してしまうのです。
自分の中で、これがこうなって、ああなって、
きっとうまくいく!なんて思っちゃってて、
思うとおりにいかないと
どうにかして思うとおりにいかせようと努力する…
…なんか書いててえらいムダなことだなと思いますね。
というのも、先日気付いたんです。
私はいつのまにか「期待」というものをしなくなっていた… Σ(゜∀゜ノ)ノ
すごくいいことがあったのに、いつもだったらそこにすごく期待をかけるのに、
「まぁそうはいかないかもしれないし。なるようになるでしょ。」
と思っているのです。
自分にはどうしようもない、大きな流れがある。
ここ一年の経験で、それを実感しています。
一種の諦念、かもしれません。
期待してがっかりするということをやりすぎたのかな(笑)
ただ、「期待したって無駄」というひねくれた感じではないんです。
「期待」が現実を変えるわけではない、というふうに思うようになっているんです。
「期待」が影響を与えるのは、現実ではなく、
自分の感情だったり、相手の感情だったりします。
胸の高鳴りみたいなメリットはあるかもしれませんが、
がっかりしたときのデメリットもあります。
間接的にですが、現実をガッと進ませるエネルギーはあるかもしれないし、
逆に障害になることもあるかもしれない。
「期待」したからといって、うまくいくわけでも、うまくいかないわけでもない。
と、今の私は思っています。
だから別に良くも悪くもないんですけど、
なんていうか「期待」そのものが人生の演出の一種のように感じてしまって、
そういうのやって盛り上がるのが好きだったんだけど、
今はシンプルイズベストで、別にやらなくていいという感じになってきました。
あ、別の言い方を思いついた。
「期待」というテレビを消す、みたいなイメージ。
テレビって見てると盛り上がったりして楽しいけど、
結局テレビの中の出来事というか。
そして、テレビを切ると、シーンとする (* ゚∀゚)
テレビから得るものも多いんだけど、テレビを消した時間で得るものもある。
今はテレビを消して一日を過ごしたい、みたいな気分です。
伝わるかな (; ^ω^)
静かな一日はいいもんです。(疲れてんのか?笑)
あ、でもまだちょっとテレビつけてるときもある。
音量1くらいで(笑)
大きな期待ってどんな感じだか思い出せなくなってきた。
すごく期待してたときってどんなんだっただろう。
もちろん、ゼロになった訳ではないので、
また期待の気持ちが膨らんできたときには
観察してみたいと思います♪