●和泉式部日記 @和泉式部/川村裕子編 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

次いでに和泉式部日記も読んでみた。。


恋人である為尊親王(冷泉天皇第三子)を

病で失い、傷心の和泉式部に

その弟君の敦道親王が求愛する。

ためらいながら燃え上がる恋の炎、

結ばれた後もすれ違い、嫉妬の荒波を越え

遂に正妻の居る邸に乗り込む!までを

赤裸々に描いた、1年間の愛の嵐!




そう、この人の半生は本当に嵐でした。
正妻は怒って出ていってしまうし、
子供が産まれて数年で、当の敦道親王も
病で他界する。元恋人の兄君為尊親王も
和泉の元に通ったせいで勘当され 
流行り病に罹り亡くなった、と非難され
、、、リアル愛の嵐の爆心地。

「和泉式部日記」は敦道親王の死の翌年
1008年に書かれている。
紫式部日記と全く同じ時期であり、
二人は共に中宮彰子に仕える同僚になった。



紫式部日記の和泉評は、
歌の情感も言葉も素晴らしい、けど
理論に欠け、また素行に問題がある、、と
結局は貶している。
清少納言とは別の方向でライバルなんだろう。

杉本苑子さんの小説には3人の関係が
とても良く書かれて面白かったなぁ。
これは本当に本当のことで
道長は和泉を「浮かれ女」と言ってるし
そもそも二人の親王との恋愛の前に
和泉は結婚して、子供もいる。
夫とは破綻しているが離婚もしてないので
あくまで自由恋愛。インモラルである。

「和泉式部」という名前は
夫·橘道貞が和泉守だからなんだよね。。



家系は大江家に連なり、高名な漢学者の

大江匡衡は叔父、その妻赤染衛門は親戚、、

そんな関係で彰子に仕えたのかな。


出仕後の恋人としても源雅通とか俊賢とか

10人以上名前が挙がるという。が、

結局、最後に正式な結婚相手として

道長の家臣、藤原保昌と結ばれる。36才


こんだけ男遍歴が有名でも

そんなの関係なくモテまくったんだから

よほど魅力的な女性であることは

間違いない。

てか平安時代って自由だなー!!