イザナミの夫婦神
外戚から起用され、乱れた世を立て直す
大任を担った両神(フタカミ)は
豊受大神の本拠地であるケタツボ(多賀城)
の西南にあたるツクバ(筑波)の真壁郡に
イサ宮を建て、新居とします。
ケタツボ(多賀城市)は
初代天神クニトコタチが国家創建の最初の
本拠地とした地でもあり
原点回帰という大きな意味がありました。
▼一女三男の4人の子供
新婚生活を筑波のイサ宮で始めた両神は
お互いの身体の違いを較べ合い
足りない所と余る所を合わせ皇子を産もうと
「ミトノマグバヒ」をしました。
最初に生まれたがワカ姫(ヒルコ姫)。
けれどその時、父は40歳、母は31歳で
共に「天の節」が宿る年回り。
「女の子なら父の汚穢(オエ)を受け、
男の子なら母の隅(クマ)を成す」と
信じられていました。後世の「厄年」です。
三年間、愛情を掛けて育てたけれど
捨て子は育つ、という言い伝えに従い
イワスク舟に乗せて捨て、申し合わせにより
重臣カナサキが(金折命)拾い、
本拠地の西殿に連れ帰り、育てます。
今から3000年以上前のこと。
▼第二子が早産で流された
ヒヨルコ
両神は新国家建設と日嗣の皇子を妊する
責務を果たす為、誓の儀式を行います。
これはアメノミヲヤカタ(天御祖神)が
宇宙空間に自然の秩序をもたらした
タカマの思想を人間社会に実現する試みで
オノコロの八尋の殿に建てた柱を
アメノミハシラ(天の御柱)に見立て
その回りを原始の雲のように巡って
人間社会にも自然に即した秩序が整うよう
祈念したのです。
試行錯誤が始まります。
最初は女神が左へ、男神が右へ回り
出会った時、女神が
「アナニエヤ ヱヲトコ」 と言い
(あ!いいぞ!好男子だ!)
それに応えて男神が
「ワナウレシ エオトメ」
(わ!嬉しい!素敵な乙女だこと!)
と歌って女神は身ごもりますが、残念ながら
早産し、育てることができませんでした。
このヒヨルコが生まれたが淡路の宮殿。
ヒヨルコは子の数には入れられず
両神は泣く泣く葦舟に乗せて流し
天上に送り届けました。
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古事記では不具の子が生まれて海に流した
話しなので、不吉なような失礼なような
どういう意味か測りかねていたので、、、
こちらの話が本当なら良いな。。と
素直に思うわけで。