●はじめてのホツマツタヱ ② | ★50歳からの勉強道~読書録★

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

第四代天神 ウビチニの物語は
三月三日桃の節句の起源でもあり
とても重要なのだ。


時期は未だ縄文時代。
暦は一定年数で枯れるマサカキの
植え継ぎ回数で数え、500回を数えた頃、、
というが枯れるのが万年単位という
壮大な話なので、とにかく縄文時代のこと。



④四代ウビチニと桃の節句

四代天神になる君の位を継いだウビチニは
后のスビチニをウチミヤ(中宮)に入れ
政も共に執るようになりました。
スビチニは女性として初めて政の場に参加し
夫婦で天神の座についたのです。


お二人は幼い頃から越邦のヒナルノ岳
(福井県武生市日野山麓)の神宮で
一緒に育てられました。
将来を誓い合って庭に木を植えると
三年後の三月三日に沢山の花が咲き、
結んだ実も百を数えたので、その木は
「ももの花」と名付けられ、幼い二人も
モモヒナギ、モモヒナミと呼ばれます。


成人されると誓い通りに結婚されました。
三月三日の夜、神酒を醸造して神前に供え
桃の木の下で神酒を酌み交わす儀式です。
器に注いだ神酒には三日月が写り、
さぞ優雅で幻想的な光景だったでしょう。

この時、まず女神が先に飲んで男神に勧め
後に男神が飲む、という形式が出来ました。
「とこ」しえの愛をもって添い遂げることを
誓い、良き子を授かる願いを込めて
「床」入りすることから、
「トコの神酒」と呼ぶようになりました。


三日目の朝、初夜を過ごした二人は
寒川で身を清めますが、二人とも袖が濡れて
笑い合う姿が微笑ましく、
ウビチニ(泥土煮尊)スピチニ(沙土煮尊)
と愛称される似合いの夫婦となったのです。


この時から一般庶民も皆、お二人に見習って
妻を同居させるようになり、
一夫一婦制が確立されました。
お二人が示した理想的な男女関係は、
後にイモヲセノミチ「妹背の道」と呼ばれ
縄文日本の国家原理である
「アメナルミチ(天なる道)」の中心的な
思想となって根付いていったのです。


福井県越前市の日野山は
日野神社(創建年代不明)のご神体。
元は越前の国府が置かれた武生市(たけふ)



▼神酒の醸造

この時、神酒の醸造を開発されたのは
ヰノクチ(滋賀県今津町)におられた
モモヒナミの母スクナミカミです。

雀が稲籾を竹の切り株に運んでいるのを
不思議に思って観察すると、二ヶ月後
切り株に溜まった雨水が発酵して
甘い香りを放っています。
飲んでみると気分も体調も良くなり、
健康増進の効果があることが判りました。
スクナミカミは試行錯誤の末、この水を
作り出す事に成功し、醸造法を普及させ
娘の婚礼儀式の祝いとして献上したので
ササナミの称え名を賜りました。

その水はササケ(酒)と呼ばれ
スクナミカミの住むヰノクチは
ササナミ(酒波)と呼ばれ離宮が建てられ
お亡くなるとササケ山(笹ヶ峰)に
祀られました。


「三三九度」の儀式は
三年後の三月三日に因んでできた形式です。
サカヅキ(盃)は逆さに写った月から
夫である天神ウビチニが名付けました。


余談ですが、後世
ヰノクチに猪口という漢字を当てて
チョコと読ませたものが
縦長の盃の別名となっています。


滋賀県高島市今津町の井口神社