法然69才、親鸞29才の遅い入門で、
法然門下の主流から外れた、異端の弟子だ。
にも拘わらず、法然と共に流罪にされた
のは、天台座主慈円のせいみたい。
親鸞は元々、慈円の弟子だったんだ。
法皇も実の兄も(九条兼実)、愛する弟子も、
民衆も皆こぞって、無位無冠の法然に夢中。
口で南無阿彌陀仏を称えるだけの仏教に。
まぁ、許しがたいわね。。。
6年間を越後の配流先で過ごした後、
親鸞は20年間、常陸で布教して
師・法然の志であった関東伝道を果たす。
60才を過ぎて京都に戻ったのは著作の為で
それが「教行信証」。常陸時代から長年の
推敲を重ね、渾身の情熱を込めた書だ。
念仏の「教」えと→教巻
その「行」と→行巻
それを「信」仰して→信巻
それが形になって現れる「証」→証巻
この証巻に語られてる親鸞の中心思想が、
二種廻向。(往相廻向⇔還相廻向)
人は成仏すると、しばらくあの世で過ごし
仏となって、衆生救済のために還ってくる。
無知な者も、悪人も、(当時は)卑しい女性も
あの世で仏となり、この世で利他行に励む。
悪人正機は二種廻向とセットでこそ
意味がある。
この永遠の命の繰り返しで
できるだけ、この世を良くしていこう!
近代真宗教学は誤った解釈をしている。
唯円の書いた歎異抄ではなく、
親鸞の教行信証から学び直すべきだ。と、
梅原先生は強く強く、警告している。
私は空海が好きだけど、
日本仏教の基礎となるのは、断然天台宗で
源信、法然、親鸞、道元、、みな天台僧だ。
「女人成仏」がはっきり書いてあるのは
天台宗の法華経だけなんだって。それ素敵。
最澄は密教の重要性も感じていたので、
円仁を渡唐させ比叡山に密教を取り入れる。
で、円珍が天台密教を完成するけど、
円仁派と対立。。近江の三井寺を復興して、
山を下りた。→これが「寺門派」
円仁の「山門派」からは、良源が出て
「天台本覚論」を確立する。
元三大師(がんさん)と呼ばれ、実は
比叡山で、最澄以上に尊敬される存在なのだ。
・・・鬼大師、角大師と呼ばれる。
「天台本覚論」は日本独自の大事な思想で
梅原先生がよく言う、「草木国土悉皆成仏」
(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)
●動物も植物も、山河・大地、、全てに
命があって、仏になれる!成仏できる!
本来のインド仏教にこの考えはない。
仏性を持つのは「有情」に限られるので、
釈迦は生き物を踏まず、肉食もしないけど、
植物は「非情」だから考えないんだ。
草も木も、、イヤ山にも川にも、命がある!
という良源さんは、源信の直接の師匠であり
浄土宗も、禅宗、日蓮宗も、、鎌倉仏教は
すべて、この天台本覚論から出ている。
とはいえ、不思議なことに「天台本覚論」には
書物が無く、後世の人が研究したくても
資料がない。。。そこで梅原先生は
この思想は、芸能において完成され、
日本人の心に浸透したのでは・・・と考える。
なぜなら能の謡に「草木国土悉皆成仏」の詞が
頻繁に出てくる。そればかりか、
茶道、華道、誹諧など、日本の芸術は全て
この精神の上に立っているではないか。
こういう芸能と共に、鎌倉仏教が一般民衆に
浸透したのは、室町時代になってからだ。
鎌倉時代の法然に教団組織を作る意思は無く
ただ専修念仏の思想を民衆に広めたい。
親鸞も浄土宗に対する浄土真宗、ではなく
法然の真の思想を広めようと、ひたすらに
一生を費やす、無名の僧にすぎなかった。
それが没後に「浄土真宗」となり、
曾孫・覚如によって寺院化され
本願寺教団が成立し、
室町時代に蓮如という布教の天才が現れ、
巨大になっていったんだ。
田舎仏教と言われた曹洞宗も民衆に浸透した。
室町時代にできた芸術は、現代にも伝わる
日本人の心そのものだけれど、
その根底に流れていたのは、平安時代からの
天台宗と真言宗が融合して出来た
天台密教であり、天台本覚論なんだなぁ。
東京2020開閉会式の統括である
野村萬斎さんが、「鎮魂と再生の精神」を
掲げたことに、とても納得した。
これこそ古から培われてきた、日本の精神。