●孫文(上・下) @陳舜臣 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

孫文は1911年の辛亥革命を指導し、
南京に樹立した中華民国の初代臨時大総統
となった革命家。



「中華民国」というと、今では台湾のこと?
でも、当初は清朝に代わる中国の新政府。



袁世凱とか、蒋介石とか出てきて、ムニャムニャ・・・
1949年に中国大陸は毛沢東の共和党による
中華人民共和国となる。。らしいが、
この本は辛亥革命で終わるので、
わたくし、ヨクワカリマセン。f(^_^)



孫文は1925年に死去するけど、
ともかく、台湾と中華人民共和国の両方から
国父として尊敬されているのだー





中国では、もはや神格化されてる孫文さん、
渾名が「ハワイ」というから、面白い。
しかもクリスチャン。本職は医師だけど、
科挙を受けたこともない、無名の若者。



少年時代に兄の住むハワイで暮らし、
デモクラシーに大いに心酔。あまりにも
アメリカかぶれしたので、兄が心配して
3年で故郷の香山県に送り返したんだって。


17才の孫文さん。辮髪に帽子




田舎に帰っても、村の神様を「単なる偶像だ」
って、腕をへし折ったりするもんだから、
困った父親は、結婚させ、勉学の名目で
香港に避難させる。ここで洗礼を受け、
医学を学び、マカオで開業したんだ。



香港はイギリスの植民地だったので、
唯一、満州人の悪口を言える場所だった。
後年、孫文は「革命は香港で学んだ」、と。

香港の「四大寇」。上海の親友、陸晧東も
入れれば五大寇。=「大変なならず者」






少数の満州族は、大陸を強圧的に支配する。

孫文たちの革命の目的は、
満州族を駆除し、中国を回復すること。
「清国は俺たちの国じゃない」と言い、自分達
は、「清人」でなく「支那人」「唐人」である。
日清戦争に負けてざまあみろ、てゆう感覚。



中国四千年、、と一口に言うけれど、
現在の「中国、中国人」という概念は、革命後
辮髪を切ってから出来たものなんだなぁ。。


1895年、最初の蜂起に失敗後(広州蜂起)
日本に亡命し、横浜で辮髪を切った。






孫文は16年間の反清活動で、8回ほど小さな
蜂起に失敗し、同志を喪いつつも諦めず、
世界中で支持を募り、軍資金を集め、
華僑のネットワークを固める、、という
プロデューサー的な存在。
辛亥革命が起きた時もアメリカにいたんだ。
ちょっとビックリだね。



そして、活動の最大の拠点は日本であり、
宮崎滔天、犬養毅、頭山満、児玉源太郎、
内田良平、山田良政、幸徳秋水、北一輝、、等々、驚くほど沢山の日本人の支援を受け、
驚くほど沢山の活動家が日本に亡命し
驚くほど沢山の集会が日本で開かれ、
驚くほど沢山の留学生が日本で学んだ!
中国の革命は、日本との共同作業なのか?


中国同盟会。
中国の革命各会派が日本で大合同。




「君は西郷たれ、我は月照たらん」
「長沙は是れ薩摩なり」など、日本の明治維新
をお手本にした「維新派」の革命家もいて、



日本政府が孫文を応援したわけじゃないけど
民間の交流の多さ、関係の深さは感動的。
なんだー 日本と中国、チョー仲良しじゃん!
と思えて、嬉しかったのに、、

1915年、日本の「対華21ヶ条要求」から険悪
になり、孫文も苦しんだという。罪深いわ・・







そんな中、孫文の純粋な「お友達」、南方熊楠
との交流は、ほっこりするなぁ。
孫文は懸賞金付きのお尋ね者なので、全ての
行動記録が残っていて、大英博物館時代の
熊楠さんと、四十数回も会っている。


孫文の得意は細菌学。大好きな菌類の話しが
出来て、熊楠さんはとても嬉しかったんだ。


紀州の南方家訪問も、逐一監視されていて
孫文はこの時、貧乏な熊楠さんの就職を
犬養毅に頼んだりする。なんと微笑ましや。

水木しげる「猫楠」に登場する孫文さん。
イギリスの熊楠の汚部屋にも動じなかったと。





この本は45才の辛亥革命で終わるけど、
孫文さんは人を惹き付ける明るい魅力と、
侠気に溢れたナイスガイ。
リアル梁山泊の「好漢」なのだー!


晩年の孫文     1925年58才で死去。