●陽だまりの樹(1―8) @手塚治虫 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

神田お玉ヶ池 (於玉ヶ池)・・・・というと、
北辰一刀流・千葉周作の玄武館!!
と、なりがちだけど、、

もうひとつ大事なものが、牛痘の種痘所。


伊藤玄朴、大槻俊斎ら82名の蘭医に
開明派・川路聖謨が協力し、安政5年(1858)
に設立された。これにより古来人類を
苦しめてきた痘瘡が、ようやく根絶に向かう。


下谷和泉橋に移転後は幕府直轄の
西洋医学所となり、初代頭取・大槻俊斎→
緒方洪庵→松本良順と受け継がれ、
東京大学医学部の前身となった。






司馬遼太郎の「胡蝶の夢」でも、蘭方医の
苦労はハンパなかったなぁ。。
開明派の老中阿部正弘でさえ、漢方医の
権勢に屈し、「蘭方禁止令」を出すことに。


特に江戸は諸藩よりずっと遅れていて、
「牛痘を接種すると牛になるぞ~」・・と
蘭医は忌み嫌われ、攘夷家には命を狙われる。

文庫版、3巻の表紙は福沢諭吉。
ストーリー中には「福翁自伝」からの
エピソードがたくさん。





解説によると、この時期の事を調べていた
日本医史学会理事・深瀬泰旦氏が
大槻俊斎の義父かつ、種痘所の発起人の
一人である「手塚良仙」なる人物に注目し、
論文を書いたところ・・


ある日突然、天下の手塚治虫から電話が
かかり、「良仙は自分の曾祖父です」と、
言われ、ビックリする。   (°Д°)


そして、手塚家のルーツを描く物語の
資料として使うことを、もちろん快諾し、
「陽だまりの樹」ができたのだ。1981年。


2巻。「スフィンクス前で記念撮影を行う
第2次遣欧使節一行。元治元年撮影」
(1864)スゴくない?





だから手塚良仙、良庵父子は実在の人物。
良庵は適塾で学んだから、緒方洪庵、
福沢諭吉、村田蔵六も出てくるし、
幕臣となるもう一人の主役「伊武谷万次郎」
は架空だけど、勝海舟、山岡鉄舟、
新撰組も登場するよ。


でも、手塚治虫が描いたのは、

「歴史にも書かれねえで死んでった
立派な人間がゴマンといるんだ!」

というセリフの通り、時流に懸命に抗い、
生きた、名もない主人公たち。


藤田東湖が、三百年ぬくぬく陽だまりに
あった桜の巨木を、徳川幕府になぞらえる。




ご自身も医学博士である手塚治虫さんは、
祖父にあたる良庵(のち良仙を襲名)を、
ヤヤお調子者のダメ人間に描いているけど・・


生き生き、伸び伸び、愉快に楽しく、、
でも、やるときゃやるぞ!!という気概。
やっぱ誇りに感じてるんだなー。。と
思えて、ウン、良いわーヽ(^。^)ノ


6巻表紙は高杉晋作。この本には登場しないんだけど・・・この写真、見たことない!
貴重じゃないか?!