第15代将軍慶喜の曾孫にあたり、
現 徳川慶喜家当主のお方。
慶喜ー慶久ー慶光ー慶朝と続き、
父慶光さんは将軍慶喜の孫、
母和子さんは京都守護職松平容保の孫!
なのである。ほー!
ちなみに、朝敵となった徳川家、松平家
から「遺恨を水に流す」ために宮家や
毛利に嫁いだ人もあったそうだ。。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150818/07/yume-nomata-yume/f9/28/j/o0720096013399314096.jpg?caw=800)
最後の将軍の末裔は今や如何に、、
と思えば、都内のマンションにお住まいの
フリーカメラマン。ごく普通の生活だ。
歴史には興味がない!とことさらに
仰るが、、、一般には理解しがたい!と
思われる慶喜公の幕末の行動や性格も
「血で理解できる」
「自分でも同じ行動をしたと思う」と。
烈公・徳川斉昭の直の血だからね、
やっぱ相当、濃い~んじゃないか?
慶喜公が大政奉還したのが32才。
その後、静岡に30年間住み、
東京で亡くなるのが77才。
その間、趣味に生き、人並外れた凝り性
ぶり。写真、絵画、自転車、、、
少年時代も突然「投網」の練習に打ち込み
“投網三年”難しい職人技を、一ヶ月で
マスターしたという、なんでやねん。f(^^;
隠居中も「飯盒炊さん」に打ち込んだり
きな粉を顕微鏡で見て、虫が見えた!
と食べなくなったりする、どないやねん。
写真もなかなかの腕前だが、
都内を撮影したとき、靖国神社の
でっかい大村益次郎の銅像まで撮ってる。
彰義隊の遺恨? なんのこっちゃ( ・◇・)?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150818/07/yume-nomata-yume/46/e1/j/o0320023613399314103.jpg?caw=800)
大村益次郎の銅像。でっかくね?
そんな若干風変わりなDNAにより、
曾孫の慶朝氏は、腕利きのカメラマン!
そして何故か急にデミグラスソースを
作りたくて、いてもたってもいられなくなったり、、しちゃうらしい。(^_^;)
ショーグンの血が騒ぐんじゃ!
長州大打ち込み!不利と解れば即中止
江戸幕府四百年を一年で終わらせる
鳥羽伏見で勝てない!即江戸へ逃げる
降服したら何年でも絶対恭順を貫き通す
国民みんなが幸せになるためなら
名誉もプライドも伝統も関係ない。
言っても仕方のないことは言わない。
やるもやらぬも徹底的。
これが慶喜公なんだ。
この途方もない超越感、
自分の信念だけに突き進む独自性は
過去の歴史にとらわれない、
何にもこだわらない、
現当主の生き方そのもの。
そう、とにかく超越!ぶっとんでるのよ。
やっぱり将軍のおうちは凄かった。