●徳川慶喜家にようこそ @徳川慶朝 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

徳川慶朝(よしとも)さんは
第15代将軍慶喜の曾孫にあたり、
現  徳川慶喜家当主のお方。



慶喜ー慶久ー慶光ー慶朝と続き、

父慶光さんは将軍慶喜の孫、
母和子さんは京都守護職松平容保の孫!
なのである。ほー!



ちなみに、朝敵となった徳川家、松平家
から「遺恨を水に流す」ために宮家や
毛利に嫁いだ人もあったそうだ。。






最後の将軍の末裔は今や如何に、、
と思えば、都内のマンションにお住まいの
フリーカメラマン。ごく普通の生活だ。



歴史には興味がない!とことさらに
仰るが、、、一般には理解しがたい!と
思われる慶喜公の幕末の行動や性格も
「血で理解できる」
「自分でも同じ行動をしたと思う」と。



烈公・徳川斉昭の直の血だからね、
やっぱ相当、濃い~んじゃないか?



慶喜公が大政奉還したのが32才。
その後、静岡に30年間住み、
東京で亡くなるのが77才。



その間、趣味に生き、人並外れた凝り性
ぶり。写真、絵画、自転車、、、



少年時代も突然「投網」の練習に打ち込み
“投網三年”難しい職人技を、一ヶ月で
マスターしたという、なんでやねん。f(^^;



隠居中も「飯盒炊さん」に打ち込んだり
きな粉を顕微鏡で見て、虫が見えた!
と食べなくなったりする、どないやねん。



写真もなかなかの腕前だが、
都内を撮影したとき、靖国神社の
でっかい大村益次郎の銅像まで撮ってる。
彰義隊の遺恨? なんのこっちゃ( ・◇・)?



大村益次郎の銅像。でっかくね?





そんな若干風変わりなDNAにより、
曾孫の慶朝氏は、腕利きのカメラマン!


そして何故か急にデミグラスソースを
作りたくて、いてもたってもいられなくなったり、、しちゃうらしい。(^_^;)
ショーグンの血が騒ぐんじゃ!





長州大打ち込み!不利と解れば即中止

江戸幕府四百年を一年で終わらせる

鳥羽伏見で勝てない!即江戸へ逃げる

降服したら何年でも絶対恭順を貫き通す





国民みんなが幸せになるためなら
名誉もプライドも伝統も関係ない。

言っても仕方のないことは言わない。
やるもやらぬも徹底的。

これが慶喜公なんだ。






この途方もない超越感、
自分の信念だけに突き進む独自性は

過去の歴史にとらわれない、
何にもこだわらない、
現当主の生き方そのもの。




そう、とにかく超越!ぶっとんでるのよ。

やっぱり将軍のおうちは凄かった。