●西行 @白洲正子 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

白洲正子は白洲次郎の奥様で随筆家。



能に造詣が深い正子さん。
世阿弥が書いた「西行桜」
という演目もあり、
西行に対する思い入れはかなり深い。



西行は平清盛と同じ年で、
共に北面の武士として朝廷の警護にあたる
猛々しき弓馬の名手なのだ。


俗名・佐藤義清(のりきよ)



大河ドラマでも、藤木直人演じる
イケメン西行は平清盛と友人だったけど、
本当にそうなんだねー。



強くて和歌も上手くて、容姿端麗。
そんなモテモテ西行が、突然妻子を捨て
出家してしまうのが23才。



理由はよく言われるように、
待賢門院璋子(たまこ)への道ならぬ想いを
断ち切るため、、だろう。



待賢門院璋子さんは幼いうちから
白河法皇の元で育てられ、
孫にあたる鳥羽上皇に嫁ぐ。


そして間もなく産まれた崇徳天皇は
誰もが白河天皇の胤だと知っており、
鳥羽上皇は「叔父子」と嫌った。
ほぼほぼ源氏物語だね。(;゜∇゜)



しかもこの璋子さん、
警護役である西行と忘れ得ぬ一夜を共に
した、、ばかりか、結婚後も白河法皇との
情交は続き、さらに数人と密通。


藤原忠実の日記には「乱交ノ人」とある。
かなり、相当、魅力的だったに違いない。



西行は待賢門院亡き後も、その女房たちと
親しく交流しているし、
璋子の息子である崇徳帝の弔いに讃岐を
訪れている。大事な存在なんだなぁ。



西行は出家後、毎年のように吉野に入り、
桜の歌をたくさん詠んだ。
その美しさ、儚さは待賢門院と同化し、
桜は我が身を救う神聖な花となる。



   ねがわくは 花のしたにて 春死なむ

           そのきさらぎの 望月のころ



実際に西行は73才、釈迦入滅である
「きさらぎの望月」に死んだので、
他の歌人たちが感動し、この歌は辞世の句
扱いになってるけど、
これはたまたまらしい。。たまこさーん。



西行自身が「第一の自讃歌」とするのは
富士の歌だ。



     風になびく 富士の煙の空に消えて

         ゆくへも知らぬ わが思ひかな




桜に我を忘れ、己が心をもて余した
日々を越えて、虚空の境地に至ったのだ。


題字は白洲正子さん。




後年、鎌倉で源頼朝と会談したとき
かつての特技、流鏑馬のコツを伝授した。
お礼にもらった銀の猫を、通りすがりの
子供にあげちゃった、の図。

頼朝なんぞの犬にも猫にもならないニャン!



歌川国芳の西行。男前でゎないか!