●王朝序曲(上・下) @永井路子 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

桓武天皇の平安朝は奈良朝の否定で始まる。


造仏造寺の停止。長岡京への遷都。
大仏なんて、くだらん無駄遣いだ!



桓武天皇ってずいぶんな革新派なのね。



でも長岡京遷都は失敗。
蝦夷出兵も失敗。
妻や女官などの不幸も相次ぐ。

これが有名な、早良親王の祟りだ~



そして平安京へ遷都したけど、
続く平城(へいぜい)天皇にも怨霊が。。



体を壊して嵯峨天皇に譲位したけど、
大好きな薬子と平城京に引っ越したら
元気になって太上政治を始めちゃう。



平安京  VS  平城京
「二所の朝廷」という異常事態!
 からの~


これまた有名、 「薬子の変」



敗北者、平城太上天皇は剃髪し
愛する薬子を供養しつつ、
平城京に留まった。

だから平城天皇って呼ばれるんだね(°▽°)



この時、陰で動いて嵯峨天皇に
勝利をもたらしたのが藤原冬嗣だ。



     「藤原冬嗣」これ大事!



権力を誇示せず、人の話をよく聞く、
穏やかで新しいタイプの政治家である。




後世、「温裕・弘雅」と評される。
緩やかに、しかも着実に、律令制、
土地制度、税収制の改革を進めていった。



この時期を、不完全ながらも
中世の始まりとして注目する人も多い。



冬嗣以降、天皇は政治から離れ
“象徴”として存在するようになる。

「権力」ではなく「権威」をもつ。



「帝は雑事に煩わされず、文雅の王者
として新たな御世をお拓きください。」


「よきにはからえ!」 (^o^)v


政治嫌いの嵯峨天皇は嬉々として
漢詩、書芸に勤しむ。

凌雲集・文華秀麗集ができ、
書では三筆の一人に数えられる。
空海とも仲良しだったのねー



さらに「賜姓源氏」が始まる。
(子作りにも勤しんだので皇子だらけ)



天皇と“源を同じく”する多くの親王を
臣下に降ろして国費節約。
財政のバランスをとったのだ。



道鏡後、光仁・桓武・平城。
流血と怨念の時代はここに終わりを告げ
以後、400年の平安が訪れる。



そして道長に続く藤原北家の繁栄も、
ここから始まったのだ。




とにかく永井路子本は面白い!

装丁も素敵。





「一県千家花ならずはなし」とある。

穏やかな世に花が溢れる、という
冬嗣の詩だ。