前回のブログで、自分の視点を動かすことが相手の思いを理解することになり、個人的なネガティブな感情を扱うにも、そして、それを応用することで、ビジネスの上でも有益になるという主旨のことを書いたのですが、それを書き終わったところで、頭の中に「おもてなし」という言葉が浮かびました。
c.f. ハッピーに生きたいなら、視点を動かしょう。それが仕事もプライベートも上手く秘訣
「なぜ?」と思われるかもしれませんが、それはおそらく、私たち自身が、日々、生活しているこの世界において、相手のことを理解する、つまり、相手の気持ちになって考えるという行動を忘れかけているのではないかと思ったからです。
「おもてなし」といったときに、皆さんは、何を思い浮かべるでしょう。
至れり尽くせり、何もかも、自分が思ていることをやってもらえることという感じでしょうか?
または、お金持ちのように扱ってもらえるという感覚でしょうか。
それとも、いつも笑顔を絶やさず、嫌な顔1つもせずに言われたことをやることでしょうか。
今や、「おもてなし」は、日本を代表する、世界に誇れる文化の1つとして認識されていますが、このところ、本来の「おもてなし」とはどういうことだったのかと考えさせられるシーンによく出くわします。
はて、「おもてなし」とはこういうモノだったのか…?
そんなことを考えているうちに、「もしかして、「おもてなし」という言葉、私が知らないうちに別の意味の言葉になっている?」という思いに至り…。(まぁ、言葉は時代ともに変化しますから)
確かに、気が付くと、いつの頃からか、この「おもてなし」というモノにマニュアルが存在するようになっていたわけです。
「おもてなしとは」から始まり、お客様が来た時に行わなければならない事柄や、そのための準備etc.
多岐に渡って記されています。
そして、そこに記されていることに準ずれば、完璧な「おもてなし」が完成するように作られています。
それは確かに素晴らしいのですが、でも、「ん…?」と感じてしまったのは、私だけでしょうか?
マニュアルに書かれていることをやることが、「おもてなし」になるんでしたっけ?
「おもてなし」ってなんでしたっけ…?
私が理解している「おもてなし」とは、本来、目の前にいる相手が「こうしてほしいな、あぁしてほしいな」と言う前に、そのこと察知して行い、提供することです。(これは子供の頃、散々ぱら親に躾られたことです)
そこでは、目の前の相手が主体であって、自分は副。そして、教え(ここで言うマニュアルですね)は従属物となるわけです。
ですが、全部が全部というわけではありませんが、なんとなく、いつの間にか、この主体が相手ではなく、自分になっていて、いかに書かれていることを自分が完璧に行うかということに主眼がいき、その世界から「相手」という存在が欠け落ちてしまっているように思われるのです。
この傾向が強くなったように感じるのが、タイトルにもした『「おもてなし」がサービスに変わったとき』の頃のように思います。
何もサービスを下に見ているわけではありません。
ただ、言語的な意味を考えると「サービス」とは、モノやコトを提供することを意味する言葉です。
つまり、「提供する」ことが主であって、「提供された人たちがどう考えるか」というところには視点がないのです。
ここにサービスと「おもてなし」を大きく乖離させるものがあるように感じています。
日本のサービスが世界的に評価された理由は、物事を提供するときに「相手の立場に立って」という点が大きかったからです。
困ってそうな人がいたら、言葉に出す前に手を差し伸べる。
それが当たり前の世界でした。
ただ、「個人」という考え方がどんどん浸透するにしたがって、この「相手の立場に立って」または「相手の気持ちを考えて」という考え方が廃れていっているように感じます。
そして、このことが、おそらく、今、日本におけるコミュニケーションを上手く取れない人たちを多く生み出しているのではないかと思うのです。(これはまた、そのうち、別のブログで書きたいと思っていますが)
子供の頃、よく親に「相手の気持ちになって考えなさい」または「相手の立場に立って物事を考えなさい」と叱られました。
その時は、そう叱られたことに対して、かなり理不尽だと思ったのですが、今を振り返ると、大切なことを教えてもらっていたのだと思うのです。
ただ、子供としては、真の意味が理解できていなかったために、他の子たちは、自分のやりたいことをしているのに、どうして、自分だけが他の人の気持ちを考えて我慢しなければならないのかわかりませんでした。
今でこそ、この真の意味である「自分がやりたいことがあるならば(⇐この前提条件が省略されています)、相手の気持ちを類推し、逆なでしないで(要は反対されないように)やる方法を考えて行動しなさい」ということだと理解できているので、この考えを利用して、様々なビジネスのシーンで役立たせてもらっていますが、この考え方こそ、日本に脈々と続く失ってはならない何かではないかと、つとに思うのです。
相手の機微を読み取り、行動する。
「あ・うん」の呼吸にも通ずるものです。
そして、今では若干、ネガティブな響きを持つようになってしまっている「空気読む感」も、これらに通じるところがあります。
本当に、この相手の立場に立って考えるという、つまりは、自分の視点を動かすという癖(まぁ、スキルと言い換えてもいいかもしれません)をつけると、自ずと、相手が欲しているものが見えてくるようになります。そして、これは世界がうらやむ武器なのです。
田村幸太郎さんが、その著書の中で、この能力に関して書いています。また、空気を読む察知能力の高さに関しても上げています。(ただし、欧米のトップランキングの人たちは、日本人以上の空気読む感を兼ね備えているとも書いていますが)
時代が進むにつれ、この「相手の気持ちになって考えなさい」という行動は、「そんなことをしても一銭の得にもならない」という風に考えられ、いつの間にか「相手の気持ちを考えることは損を見る」というような話になってしまっていますが、ただ、この先の未来を考えた時、私たちが私たち自身を生かす上で、この能力を再度、身に着け直す必要があるのではないかと思うのです。
なぜなら、そのことによって、見える世界が変わり、自分がもう1つ上に上がることができ、人とモノが集まるようにからです。
千年回顧ですね…。
【特徴】
「YoUME Method/ユミメソッド」とは、
心(マインド/メンタル)
身体(ボディ)
センシティビティ(感受性/感性)
の3つに同時にアプローチし、身体と心のメンテナンスを一気に行い、
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健やかなボディラインをもった身体をゲットし、
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それによって裏打ちされる強いマインドを確保することで
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個々人の中に眠るセンシティビティを発揮させることができ、
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それによって、ゴール達成の邪魔になっているリミッターを取り除き、
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持てる能力を十二分に引き出し、向上させ、
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自分らしい生き方ができるようにする
メソッドです。
【効果】
人はボディ、マインド、センシティビティのバランスが崩れると、何かしらの不都合を感じるようになります。
この状態が長期化すると、心も身体も感覚が麻痺し、外からはわからなくても、本人における虚構感や倦怠感が募ります。
このバランスの崩れを元に戻すことで、ボディラインは元より、健康で幸せ、かつ自分の能力を最大に発揮できるようにすることが、YoUME Method/ユミメソッドのゴールです。
【要素】
YoUME Method/ユミメソッドは、自己啓発の祖とも呼ばれるルー・タイス氏と脳機能科学者の苫米地英人さんが体系づけたTICEコーチングや認知科学をベースにした気功やヒーリングといった様々な知見を用い、構成されています。
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