手を取る勇気を持って。怖いかもしれないけれど、しっかり抱きしめてくれる人は必ずいるのだから… | スピリチュアル コンサルタント YoUMe(ユミ)の部屋

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心・身体・感性に同時にアプローチするYoUME Method/ユミメソッドを考案したスピリチュアル コンサルタント YoUMe(ユミ)こと、舟生侑未(ふにう ゆみ)の
人生観や生き方、物事の考え方などについてのブログです。

昔、むかし、ある町に、女の子が住んでいました。

その子は、毎日、毎日、楽しい夢を見て、それがず~っと一生続くのだと信じて疑っていませんでした。

 

 

ましてや、世界に裏と表があるなどとは、思いもよりませんでした。

なので、いつも、幼稚園や小学校では、「こいつ、バカじゃん、また信じてやがんの…」とからかわれてばかりいました。なぜなら、クラスの友達が言ったことを全部鵜呑みにして、信じていたからです。

 

ところが、そのうち、その子はクラスの友達が言ったことを、そのまま、先生や大人に伝えるたびに、友達がクスクス笑って見ているのに気が付くようになりました。

最初は気のせいかなと思っていたのですが、それは、そのうち、気のせいではなさそうだと思うようになり、徐々に確信となっていきました。

 

「あっ、また、私、何かされたんだ…」

それを感じるたびに、その子は悲しくて、悔しくてたまりませんでした…。

 

そのうち、その子はそういうことをする周りの子たちが我慢ならなくなりました。

どうして、何も悪いことをしていないのに、この子たちは私のことをこんな風にしなきゃならないの?

 

元々、言葉が長けているわけではなかったその子は、ある日、水の溜まった樽に最後の一滴が落ちるかのように、自分の中の憤りが突き動かすエネルギーに突き動かされ、自分に対して意地悪をした子たちに火を噴いたように抵抗します。

ただ、言葉に長けていないその子は、先生からも親からも理不尽に怒られます。

その子からしてみれば、どうして私がこんな風に怒られなければならないのか不思議で、不思議でしょうがありませんでした。なぜなら、悪いことをしたのは、あの子たちなのですから。

でも、悲しいことに、その子の周りには、誰もそのことを理解してくれる人はいませんでした…

 

その子は、一体、今、どうなったのでしょう…?

見事にこんな風になりました (^^;;

 

 

あの頃の私は(まぁ、今もそうですが (^^;; )、自分の思っていることを言葉で伝えることがほとんどできない子でした。そのため、言葉で畳みかけられるようにして話を進められると、言いたいことの半分も言えず、その言えない憤りが身体を突き上げ、手や足が出てしまうというような感じでした。

 

皆んな、大嫌いだ!

皆んななんか、どっかへいっちゃへ!

 

そんな時、よく母親には、「じゃあ、あなたが出ていきなさい。お母さんたちは、もう二度とあなたのことは知りません。本当に出ていきたいの?」と言われました。

時には、私の駄々のこねかたが酷すぎて、家から本当に追い出されたこともあります。

まさかと思うかもしれませんが、母も頑固だったせいで、玄関のドアに縋(すがり)りつく私を渾身の力で引きはがし、外に追い出して、家のカギをかけてしまうという…

(もう、ほとんど記憶にないのですが、おそらくよっぽど手に余ったのでしょうね… (^^;; )

 

そんな時は、しばらく家の外で泣いているのですが、泣いていてもカギが開くわけではないので、仕方なく、泣きじゃくりながら、周りから見られることへの恥ずかしさもあり、なるべく家から離れ、子供ながらに人に見つからない、自分の背丈よりも大きなススキが生え茂っている場所や、誰も住んでいない家に忍び込んで隠れたりしていました。

そういう時の私の寂しさを癒してくれる友達は、草木の中を飛び回る虫たちや、その建物に住んでいる猫たちでした…

 

何回かそういうことがあったのですが、ある時、あまりにも私が戻ってこないので、心配した家族が団地中を探し回ったりしたこともあるのですが、私的には、「要らない」と言われた以上、存在してはいけないと思っていたので、家族が近くを探しに来た時も息をひそめて、決して分かられないように気配を消して隠れていました。

その時は、子供ながらの必死の思いでしたが、お陰で、武術の達人のレベルではありませんが、気配を消すのが、未だに意外と得意だったりします(笑)

 

そんな子供時代でしたが、この時から、漠然とですが、私にとって、人の言葉の持つ重さのようなものを感じ始めたような気がします。

 

「〇〇ちゃんは、どうしてこんなことを言うの?」

家でよく聞いたものです。

「〇〇ちゃんは、(性格が)きついからね~」

そんな風に聞いたのは、よく遊んでいた同級生の女の子が、ふとした時に口にする言葉や行動に、心が痛むことがよくあったからです。

 

そんな時に、よく母は「自分がイヤだと思ったことを、人に決してしちゃだめよ」と繰り返し、私に言い聞かせたものでした。

 

なので、昨今の風潮を見ると、心が痛むのです。

 

以前からSNSなどの誹謗中傷による自殺は問題視されていましたし、コロナ差別もそうですが、

相手の身になって考える

どこかで、この大切な教育が失われてしまったように感じるのです。

 

そんな言葉を投げつけたら、相手がどんな風に感じるのか…

 

私自身、中学時代に村八いじめを受けたことがあります。

その前も、いじめのレベルにまでは行っていませんでしたが、この顔立ちで田舎にいたこともあり、同じ学校に通う子たちに「やーい、外人、やい、外人。移るから、こっちに来るな」と指差しで言われたりしていました。

そういう時は、もちろん、無視をして通り過ぎるのですが、それでも、子供心に言われた言葉はしばらくの間、心に刺さって抜けることはありませんでした。

 

なので、今回、たまたま、木村花さんの最後に書き綴った投稿を見て、身震いがしました。

それは、私が、過去に何度も何度も書き綴っては消していた言葉そのものだったからです。

 

あっ、あの魔物だ!

 

本当にビックリしました。

上記で書いたように、私は中学で村八いじめに遭ったために、ある意味、メンタルタフネスになれたと思っているのですが、それでも、未だに人の心ない言葉や、組織的に故意に情報をオミットされて、仕事上で窮地に陥ったりすると、そのやられたことではなく、そういうことを平気でやれる人たちの心に対して、結構、傷ついたりしています。

ですが、なんだかんだとここまでやってきたことで、これらの悪意にも似たものを投げられたときに、まともに受けるのではなく、バリアではないですが、悪意が届かないようにしたり、または届いてしまったときには、その投げつけられたものを取り除き、刺さった部分(大概は心ですが)の傷を癒すノウハウや技術を身に着けられたんじゃないかなと思っているのです。

(これらの技術が、自分にとって自信が持てないときや、そのために実力が発揮できなくなってしまっているときなどにも使えるのです。根っこが同じですから)

なので、私のように不器用ない生き方しかできなかったり、感受性が高すぎて上手く動けなかったりする人に、私が身に着けてきたことを伝えて、身を守りましょうと思っているところなのです。それが、メンタルトレーナーということなのですが…

 

と、話がずれたので、元に戻しますが、この村八いじめとは、つまり、その場にふさわしくない人や、こいつは俺たちの仲間じゃないとされた人間を、非常に陰湿な形で、その人が所属する場から精神的に締め出し、いじめるというものです。

例えば、いじめのターゲットの人が教室に入ると、今まで楽しそうに話をしていたクラスのみんなが話をピタっと止める。そして、そのターゲットの人物を見て、ヒソヒソ話をするといったことから、授業で必要な教科書やモノがなくなる、度がひどくなると、下駄箱の靴や引き出し、カバンの中が水でビショビショになっている…

1人1人にとっては、ちょっとしたジョークなのですが、それを集中的にされている人間にとってはたまりません。

私はそこまでさすがにされたことはありませんが、隣の教室の男の子は、毎朝、学校に来ると、「オハヨー」と言われながら、クラス中の子たちから黒板消しで背中を叩かれて挨拶をされるという状況でした。

 

そして、その中で一番、怖かったのは、これを普通の子たちも入ってやっていたということでした。

 

どうして、そんなことするの?

 

答えは簡単です。

自分が同じ目に遭うのがイヤだから…

 

つまり、自分も仲間に入って同じようにしないと同じようにいじめられるという恐怖から、いじめる側に入るのです。

確かに、私が村八いじめに遭うようになったのは、やはりクラスの中に、おそらく今であれば知的障害の手帳を持っているだろうという子がいたのですが、その子へのいじめがひどかったのを止めたところからです。

 

「自分がイヤだと思うことは人にするな」という家の教えもあったので、当初は加担せずということでなんとか逃れていましたが、さすがに目に余る時に止めたのが、彼らからすれば気に入らなかったのでしょう。(そう、理由は個人的感情なのです。。。 そして、これは子供だからではなく、大人になってもより陰湿な形で生きているということを、後程、嫌というほど知らされるのですが)

 

そこからの毎日は本当に地獄でした。

よくぞ、あの中学時代を生き延びたと思っています。

 

なので、この木村花さんの話や「コロナ差別」のことを聞くと、心が痛むのです。

たった一人の「気に入らない」という個人的感情が呼び水となって、人々の中に巣くう残虐性のスイッチをオンにする。

そして、ターゲットにした人が立ち上がれなくなるまで叩き続けるのです、ストレスのはけ口として。

また、この残虐性の厄介さは、発散すればするほど、残虐性を求める欲求が膨らんでいくところです。本来であれば、良心が痛んで当然のところが、楽しくて、楽しくて仕方なくなり、本人たちも自分自身を止められなくなるのです。なぜなら、この時、脳内で多くのアドレナリンが放出されているからです。

 

いずれにしろ、私自身、いじめを経験したことがあるため、これらの行動や言葉を目にし、耳にすると、心が痛くて張り裂けそうになります。

 

なぜ、人はこんなにも他人に対してひどい仕打ちができるのかと。

人の痛みに、なぜ、こんなにも無頓着でいられるのかと。

 

人が投げつける言葉は、人を殺すことができる凶器になりうるということを覚えておいてほしいと思うのです。

 

日本には言霊(ことだま)という言葉があるように、古の昔から、日本では言葉に魂が宿ると考えられています。

 

(「言霊」 Wikipediaより)

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

 

なので、使う言葉には気を付けたほうがいいのです。

今、自分の投げた言葉が相手にとって凶器となりうる可能性があるからです。

 

例えば、過去を振り返ったとき、人から投げつけられた言葉で心が痛んだことはないですか?

 

「そんな経験は、ない!」

と断言した人は、失恋をしたときのことを思い出してみてもらうのがいいかもしれません。

(いや、私は、僕は失恋をしたことがないという人も中にはいるかもしれませんが… (^^;; )

 

思いが成就しなかったとき、相手の言葉で、どれほど自分の胸が痛くなったのかを覚えていないでしょうか?

それと同じように、人は、言葉によって、実質的に心や心臓に痛みを感じるのです。(もちろん、その逆もしかり。ポジティブな言葉を投げかけられたときには、心が温かくなったりしますよね?)

その痛みは、刃物で手を切ったときと同じように痛み、またはそれ以上に痛かったりするのです。

なぜなら、切り傷は傷が治れば痛みは取れますが、心の痛みは、引きずるからです。治ったかのように見えても、事あるごとにその痛みは記憶とともに再発する可能性があるからです。(この酷いものが、PTSDやトラウマと呼ばれるものです。しかも、これらは時間が経てばたつほど強固なものになっていきます)

 

とはいえ、通常は、人にはこういった心の傷を自分で治す力が備わっているので、それほど心配はないのですが、ただ、傷のつけられ方が一気に、しかも大量に付けられてしまった場合は、自己治癒力では間に合わず、人はズタズタになってしまいます。

もちろん、たった1つの傷でも、その傷の深さが深いと、立ち上がることができなくなることもあります。

 

私たち、気功師やヒーラーの中には、こういった心に残った傷を治したり、そのまま刺さり続けている言葉のトゲやナイフといったものを取り除くことが得意だったりする人もいるので、私的には、あまりにもひどい時にはこういった人たちに頼るというのもありではないかと思っています。

もちろん、気功やヒーリングが怪しいと感じる人は、心療内科などに行ってもいいと思います。

つまり、ここで言いたいのは、一人で頑張らなくてもいいということです。

ただ、その専門家のところに行くことは負けや恥ずかしいことではないということです。

とはいえ、心療内科や精神科に行く場合、直ぐに薬を勧めるところは、私的には、これらの薬が脳神経に与える影響を考えると、あまり勧めませんが…。

もちろん、気功師やヒーラーも名前だけということもあるので、見極めは必要だと思います。

 

(注:気功師やヒーラーにも得意分野があります。身体のケガを治したりするのが得意な人もいれば、こういった心の傷や目に見えないことによる体調不良などをケアするのが得意な人など、多種多様です。気功師/ヒーラーだからと言って、全てが万能なわけではないので、そのあたりはリサーチされるといいかもしれません。ちなみに、私自身は、こういったメンタル系の気功/ヒーリングのほうが得意です。もちろん、身体の調整やヒーリングといったこともできますが、どちらが得意?と聞かれたら、こちらでしょうね…)

 

それにしても、人の中に潜む、この手の感情、残虐性というものの扱いは難しいなと思います。

本当に、一旦、スイッチが入ってしまうと、なかなかオフにするのが大変だからです。

 

なので、私は、これを魔物だと思うのです。

別の言い方で言えば、頭の中の情報空間に浮かぶ蟲(むし)と。

 

これは私が感じていることですが、この蟲には2つの頭があります。

一つの頭は、普通の人々の中に眠る残虐さにささやきかけ、もう一つの頭は、いけにえにすべくターゲットを探し、ターゲットの心の中にささやきかけるのです。

 

「お前なんか、必要ない。お前のことを愛してくれる人など、この世の中にはどこにもいない」と。

 

この声は朝昼夜と関係なく、心の中で繰り返し、延々とエコーするのです。

この声に抗(あらが)うことが本当に難しいのは、自分の内なる声として聞こえてくるからです。

 

 

私の好きな「蟲師」。

もし、ここに、蟲師のギンコがいたら、きっとこう言うでしょう…

「この蟲は、元々は人々におけるほんの些細ないたずら心やジョークから生まれたものだ。ただ、そのジョークが知らず知らずのうちに、人を飲み込む大きさとなり、人の中にある残虐性と結びついて、巨大なエネルギーを持ち、その存在を維持するために、新たなるエネルギー、つまり、人における絶望とそれを眺めて楽しむ残虐性というエネルギーを求めるようになった。

 

人間にとって、最も辛いことは、他の人間とのつながりが断たれることだ。

人とのつながりが断たれたときに、人は絶望の淵に陥り、なかなか、そこから抜け出すことができなくなる。そこはまるで底なし沼のような、もがけども、もがけども這い上がれないように感じられるからだ。そのため、その沼に落ちた人間は、そのうち、もがくことに疲れ果て、生きることを諦める。

 

この蟲は、この時の人が吐き出す絶望と残虐性が大の好物でね。

本当に、この蟲に取り付かれると治療が厄介なんだ。

 

あんたが本当にこいつのことを大切だと思うんだったら、24時間、こいつが何を言おうが、お前に迷惑をかけるからだとか、自分はなんとか頑張れるからとか言っても離れるんじゃない。それは、こいつの本心じゃない。それは、こいつのお前が本当に自分の手を離さないかどうかの最後のテストだ。

心はまったく逆のことを思っている。

本人からすれば、それが最後の懸けだ。

本当に救いたいんだったら頑張るんだな…」と。

 

そんなことを考えていたら、ふと、キルケゴール(1813~1855年)の「死に至る病」」が心に浮かんだので、読み始めているのですが、キルケゴールの時代から、人における生物学的な死は、本当の意味での死ではないと書かれていることが面白いなと思っています。

 

 

 

もちろん、キルケゴールの考えは、キリスト教における神というものを前提にしていますが、それでも、人の本当の死とは絶望によってもたらされるものだと書かれていることには、考えさせられるものを感じます。(文章的には、クドっ!って思ってますけど… (^^;; )

 

いずれにしろ、村八いじめや組織的いじめを乗り越えたサバイバーである私から言わせてもらえば、この魔物に飲み込まれないように!ということです。

 

この底なし沼のような絶望の淵から戻るために差し出された手を握りましょう。

その手を握るのが怖いのは、とてもわかります。

なぜなら、握った手の持ち主に「こいつ、バカじゃん、救ってもらえると思ってるんだ」と嘲り笑われる気がするからです。

 

でも、何度失敗しても、必ず自分の手を本気で握って連れ出してくれる人はいるのだと信じましょう。

それはもしかしたら、最終的には自分自身なのかもしれませんが、そこから這い出せたときに目にする世界は、今までとは全く異なる世界が広がっているのは事実です。

 

「私はもうダメだ…」と、その日、ベッドの中で目を閉じて、「もう終わりにしてもいいよね…?」と思ったとしても、その翌日、目を覚ました時に、生きている自分を見つけて、涙することもあるのですから。

 

「あぁ、私、死ねなかったんだ、死ななかったんだ」って思える時、人の心は本当に震えるのですから。

泣けるって、本当にこういうことを言うのですから。

 

私、生きてるんだ…って。

 

辛いけど、そこから引き返してきた人は、強くなれるから。

一度折った骨の部分が、他の部分の骨より強くなるように、強くなりましょう。

 

そして、人から羨まれるほどの輝かしいオーラを身に着けましょう。

私たちには多くの可能性が残されているですから。

 

 

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何か気になることがあったら、こちらにご連絡ください。

 

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