いくつになってもキュートで綺麗で愛される人でいたいなって。笑われるかもしれないけれど… | スピリチュアル コンサルタント YoUMe(ユミ)の部屋

スピリチュアル コンサルタント YoUMe(ユミ)の部屋

心・身体・感性に同時にアプローチするYoUME Method/ユミメソッドを考案したスピリチュアル コンサルタント YoUMe(ユミ)こと、舟生侑未(ふにう ゆみ)の
人生観や生き方、物事の考え方などについてのブログです。

人って面白いなって、ふと思うことがあるんです。

 

例えば、女性の場合、本当はず~っと女性らしく、愛される人間でいたいのに、ある一定の歳が来ると、なんとなく社会的にキュートでいたり、綺麗でいたりすると、「年甲斐もなく」とか言われたりして、そういう少女らしさみたいな女性の部分を手放さなきゃならなくなったして…

結婚なんてすると、余計、女性らしさというか、周りから母親という=女でいることは罪みたいな、そんなプレッシャーを受けて、徐々に徐々に、自分自身でも自分が女性だということを忘れていって。

 

でも、それは結婚した女性だけではなくて、シングルの女性でも同じかな。

結婚はしなくても、ある一定の歳が来ると、女性らしい恰好とか、少女っぽさとか、そういうものを持っていることに対して、周りの批判的な目が強くなっていって…。(以前は、28歳を過ぎても、結婚をしない女性が社内にいると、きっと彼女は身体に何か問題があるからお嫁にいけないんだと、まことしやかな噂が広まって、本人がいたたまれなくなるようにして退職させると、頻繁にありました…)

徐々に徐々に、身に着ける洋服も地味に地味になっていって…

 

悲しいかな、おばさんの出来上がり…

 

鏡の中の自分を見て、昔は私ももう少しは綺麗だったはず…とため息をつき、自分の顔から失われた(?)肌のハリを恨めしく思い…

私だって、昔は…、と一念発起して、お店で勧められた洋服を着ていくと、誰かが何かを言うわけではないけれど、周りの目が痛い…

気が付くと、翌日には元の地味な洋服に戻っている。

どこか、自分に諦めを感じ始めて…

若い頃は、毎日がもっと楽しかったはずなのに…

 

 

今、私自身、その頃のことを振り返ると、私も「そんな風だったかな…」って思うのです。

別に何か明確なルールがあるわけじゃないのに、なんとなく周りからのわきまえろプレッシャーを感じて、自分の心の年齢や思いとは全くそぐわない、無理やり周りから渡された着ぐるみのようなものを全身に着込んで、なんとか社会に合わせようとして生きていたなって。

 

でも、今、思うのは、この社会って何?ということ。

社会の無言のプレッシャーに合わせて、自分をその型の中に入れ込んでみたところで、幸せは全然、やってこなかったし…

やってきたのは、自分の中の空虚感だけだったし。

 

ねぇ、私、こんなに頑張ってるのに、どうして幸せになれないのかしら?って…

 

今、その頃のことを振り返ると、私自身、気が付いていなかったけれど、社会にかなり振り回されていたんだなぁって思います(笑)

 

正にクロワッサン症候群を生きた世代の人間です(笑)

 

クロワッサン症候群が出てきた背景(Wikipediaより)

1980年代日本経済はバブル期を迎え、男女雇用機会均等法が施行され、女性たちは男性と同じ条件で働き、同等の賃金を得ることが可能となった。結婚生活、子育てというコストを払わない独身の彼女たちは、有り余る可処分時間と経済財を、ファッション、グルメ、海外旅行(留学)、結婚を前提としない恋愛...等に自由に振り分けることが可能となった。そのような女性たちにとって自分たちの母親の人生は、家庭に縛られ夫や姑・舅に尽くすだけの従属的生活としか理解出来なかった。彼女たちにとってはもはや母親と同じ道を歩むという選択は不可能であり、結婚そのものを拒否するという新しい生き方を模索するようになっていった。
雑誌『クロワッサン』はそのような女性たちにシングルという新しいライフスタイルを提供し、彼女たちにとってはそれはバイブルのようになった。

 

女性よ、立ち上がれ。

結婚をして、仕事を辞めるなんて、バカな女のやること…

本当にそんな風潮が社会に蔓延していました。

 

今思うと、もっと素直に、個々人がそれぞれに持っている能力を活かしながら、人として生きるという形でもよかったのかなと思いますが、ただ、この時の社会における風潮は、「女性の未来は社会進出にある!」以外になかったかと。

そして、今、感謝するのは、その風潮に載って先陣を切って走ってくれた女性の先輩方の功績が、私たちのように女性でありながら、仕事もするという基盤を作ってくれたということ。

そして、バカな女のやることと言われながら、結婚をし、職場からは引退したものの、子供への教育ということで、働く女性への道を切り開いてくれた人たちのこと。

 

いずれにしろ、あの頃は、女性が社会で働くのなら「女を捨てよ」という時代でした。

なので、総合職採用の女性は、基本的にはパンツスタイル。男性と同じようないでたちを強いられ、また同時に、女性もそういった服装を好んで着ていました。

 

私もご多分に漏れず、その流れに乗ったのだと思います。

勿論、母からの教育もありました。

これらからの時代、女性も経済力を持たないといけない。

経済力=自由だと。

 

これは、真実だと思います。

だからこそ、私自身、走り続けてきたのだと思います。

時には甘えたくなった、弱音を吐きたくなった時もありますが、でも、せっかくここまで走り続けてきたんだから、もう少し頑張ろうって。

 

「お嬢ちゃん、黙ってな」と言われ続けた20代。

「くそ~、30歳になったら、きっとそんなこと、言われないだろうから、早く30歳になりたい!」と念仏のように唱え続け、歯を食いしばっていた日々。

なのに、30歳になっても何も変わらない…

早く40歳になりたい…、そしたら女、子供扱いから解放されるはず…

 

だから、30代の私は、ほぼず~っとショートヘア。着る洋服もメンズっぽいものばかり。

いかに男のようにふるまうかということに焦点を置いていました。

 

(その頃の私…)

 

で、40になったときに気が付いたのは、結局、何も変わらないということ…

なぜなら、私が闘っていたのは、男社会という、男性が働きやすく構成された社会構造だったから。

 

それでも、何かできないか?と思ったのは確かです。

きっと、その思いの1つが、私の後からくる女の子たちに、「女性が一生、仕事をしていても、その働く姿は、自分の持ちようで美しくも、そして女性としても生きられるということを伝えたい」ということ。

 

私の家は名家でも、なんでもなく、普通の、どちらかというとそれほど裕福ではないサラリーマンの家でした。両親も高卒で、あれほど相性の合わなかった二人が、どうして一緒にいられたかというと、娘3人に高等教育を与えるという共通の夢があったからです。

 

昭和初期、婦女子に学問を与えるなど、もってのほか。

女としての質を落とすと考えられていた時代に育った母は、自分ができなかった夢を娘たちに託すために、父は貧乏のどん底の農家に生まれたのですが、あまりの頭の良さに、村の人たちがもったいないと、父が高校に行くための学費を出してくれたほどの人。お金があったら、大学に行きたかったに違いありません。だからこそ、そんな二人が出会い、意気投合したのが、娘3人に高等教育を授け、自分の手で収入を得、人生を歩んでいくということでした。(父には残念ながら、もうその姿を見てもらうことはできませんが)

 

両親の夢はそこでした。

その夢に、私は、女性として生きるというエッセンスをプラスして、次の世代に伝えたいなと思うのです。

そのため、40を過ぎてからは、男性ファッションを脱ぎ捨て、女性というものを追いかけ始めました。

プラス、メンタル面でも、男性から、「女はヒステリーだからな~」だとか、「女も40を過ぎると、とうが立つよな」とか言わせないと、寝不足でイライラしていても、ぐっと我慢、我慢。笑顔、笑顔…

また、「女は仕事の途中でも止めて帰るしな~」と言われたくなくて、積極的に自ら、深夜労働に手を挙げて、男性陣や上の人たちを先に返したり…

 

女だからってバカにさせない+女を捨てたって言わせない

 

バカみたいって言われてしまうかもしれないですが、本当にそうだったんです。

今、考えると、本当にバカです(笑)

 

でも、そんな力みも、ある意味、40歳も後半になるとだいぶ、抜けました。

1つの理由は、そんな風に力を入れて生きている生き方は「誰のため?」と思うようになったからです。

 

なんだか、やっぱり私、自分のために生きてないなって

 

正直、50から、ついこの前まで、本当に「なんで、私がこんな目に?」と思うような経験をしましたが、でも、その時も忘れたくなかったのが、「私という人間」。そして、「女性」ということ。

 

若い頃は、自分が女性であることを恨んだこともあります。

「どうして、私は男性として生まれてこなかったのか、男性になりたい」とも思ったことがあります。

ただ、今、こうやってここまできたとき、今の性を受け入れ、享受し、それを活かすことが大切なのかなと思えるようになりました。

 

そして、今、思うのは、私らしく、キュートで美しく、愛される人でいたいなって。

「いい歳して…」って笑われてしまうかもしれないですけれど、でも、私にとって、そう思える時間がとても少なかったので、これからです。

 

まだまだ先は長いのですから… (^^)