❖大阿闍梨の道 比叡山に取り憑かれた三人の阿闍梨
三章 酒井雄哉 生々流転の行者 161
人間は、先のことをあんまり考えすぎると、なにもできなくなってしまう。千日回峰行も、明日のことを考えてしまったら、千日も続けられない。一日目が終わって、『ああ、あと九百九十九日だぁ』なんて思ったら、『うあぁ、まだそんなにあるのか』という気持ちになってしまう。行の極意と言ったらおかしいが、『今』という時を大切にすると、それを積み重ねていくだけで、いつの間にか千日間が終わってしまうものだ。例えば、出かける前に、『こうやって今日も出かけられるんだから、ありがたいなあ』と思い、草鞋を履くときには、『今、自分は草鞋を履くことができている。裸足で歩かなくてもいいんだから、ありがたいことだ』と思って出発する。歩きながら、『今、一歩ずつあるいている。険しい山の中を無事に一歩一歩踏み出せているのは、ありがたいことだなあ』という気持ちで歩く。すると、一日が終わって帰ってきたときに、『今日も一日無事に終わりました』という気持ちになって、心から仏様に、『ありがとうございました』とご挨拶ができるし、『また、無事に明日も生きていたら、もう一遍回らせてもらいます』という気になってなってくると雄哉は言う。それを毎日続けていると、気づいたら百日間が終わってしまい、気づいたら今年の分が終わって、『また来年もがんばります』というふうになる。そうこうしているうちに、いつのまにか千日間が終わってしまうんのだ。もし行を義務的にやっていたら、一日が終わったときに、カレンダーに『×』印をつけて、『また明日もあるなあ、あと七百日もあるんだなあ』などと思ってしまうから、ただ形式的にやっているだけになってしまう。
勉強も仕事も、みんな同じ。『勉強なんて嫌だな』とか、『仕事が嫌だな。忙しくて嫌だなぁ』と思っていると、『今日はまだ月曜日か。今週は、あと四日もあるのか』とか、『明日、学校で嫌なことがあったらどうしよう』なんて思ってしまう。けれど、『世界中には、勉強したくても学校に行けない人がたくさんいるのに、学校に行けるなんてありがたいことだなあ』と思ったり、『仕事に就けない人がいる時代に、忙しく仕事をしていられるなんて、ありがたいことだな。今日も仕事があるのはありがたいな』と思ったりしていると、今日一日に感謝しながら過ごすことができる。すると、気持ちがだいぶ落ち着いてきて、気づいたら一週間、二週間なんてすぐに終わる。明日のことをいくら心配してもしょうがないのだ。『明日、嵐がきたらどうしよう』とか、『地震がきた日はどうなるんだろう』なんて、頭の中で心配ばかりしてたら、なにもできなくなってしまう。明日のことを考えて不安になったり、嫌な気持ちになったりするのではなくて、今日一日を大事にしていくほうがいいのである。


酒井雄哉大阿闍梨







