❖阿闍梨【歩く】

◆比叡山ゆかりの古刹 2  


【青蓮院門跡】






東伏見慈晃門主



知恩院にむかうゆるやかな坂道の途中にあり、史論『愚管抄』をあらわした慈円が門主をつとめたところ。慈円は、法然、親鸞を庇護し、布教を助けた。

知恩院は、青蓮院内の一房であり、本願寺は院内の大谷に親鸞の墓所が営まれたのがはじまり。楠の巨木が門前の石垣の上に枝を四方にのばし、庭園は室町時代の様式を残した名園である。粟田御所とも呼ばれる。




【曼殊院門跡】






西郊良光門主



『竹門さん』と呼ばれている。個人の屋敷を思わせるたたずまいで、公家趣味の粋をこらしたつくりになっている。阿弥陀如来像が安置される本堂のほか、虎の間、竹の間、孔雀の間、大書院、滝の間、十雪の間、小書院、富士の間、黄昏の間、丸炉の間などがあり、調度品からは趣味人としての風雅さが伝わってくる。庭は小堀遠州作と伝えられ、枯山水ね風雅な世界が広がっている。




【毘沙門堂門跡】






今出川行雲門主



山科区の閑静な住宅地をぬけた山際の高台にある。奈良時代、行基によってひらかれたという。その後、桓武天皇が都を京都に移したとき、鎮護国家の道場とされた。信長焼き討ちで全焼したが、後陽成天皇の『毘沙門堂を復興せよ』という詔により天海が計画を進め、その弟子の公海が山科に再建した。十万坪の敷地には、宸殿、御霊堂、弁天堂、地蔵堂、鎮守堂、地主堂、妙見堂、経堂、勅使門、薬師門、観月亭、極楽橋がある。






 

東伏見慈晃師関連


 


西郊良光師関連

 

 


今出川行雲師著書