阿闍梨【番外編】

❖今東光大僧正の一隅を照らす、⑤



◇自利自他の心は、徹底した"論争"より生ず、


◆古来、坊主とはインテリの同義語


昔の坊主は全部、ものを書いたもんです。鴨長明でも『方丈記』を書いている。兼好法師は『徒然草』を書いている。みな坊主が書いている。坊主をいまの言葉に直すとインテリゲンチャ、知識階級や。そんじょそこらの葬斂(そうれん)坊主(葬式坊主)じゃ、ものも書けん。天台院にいたわたしの前の前の坊主というのさ、自分の名前も書けなかった。おもしろい坊主がいました。


これの話をすると長くなるけれども、ちょっとだけ話そう。どうしても、ある家で来てくれというので、お逮夜(お通夜)にお経をあげに行ったんだ。そうしたら、そこのおやじが「おじゅっさん(和尚さん)、三部経あげておくんなはれ」と言うんです。河内あたりではよくあるんだよ、こういうのが、河内の国は、北河内、中河内、南河内と三つになっているんですが、情けないことに天台宗は一カ寺しかない。天台院といって、わたしのいた寺だけが天台宗。あとはみな東本願寺とか、浄土宗とか、禅宗とか、法華とか、全部揃ってぎょうさんありますのや。しかし、天台宗は中河内の八尾のはずれに天台院が一つあるだけです。


ちょっと脱線しますけど、河内で仏教会の集まりがある。そこへ出席すると、その寺も一番少ない宗派の一番小さい天台院のわたしが、デーンと一番上座に座ってやった。東本願寺の坊主なんて頭に来て、じっと見てるとトサカの色が変わって来よる。自分のところの納屋より小さいような寺の和尚が、どうぞという声がかかるより前に、いきなり床の間のところに座るでしょう。何という厚かましい、あれは何だという顔つきをしている。


それでいつか、よっぽど腹にすえかねたんでしょう。東本願寺の坊主が「あなたはいつでも、早くから来ても遅れて来ても上座にお座りになるけれども、あれはどういうおつもりなんでございますか?」と訊きよった。わたしは、「お前、坊主のくせにものを知らんな」と答えました。「え?」ときたから、「仏教史をよく読んでみい。日本の仏教の筆頭が天台やろが。そもそも歴史を顧みれば天台をもって第一とするんだ。この野郎!」と言ったら、「恐れ入りました」と言うんで、それ以来わたしはいつでも上座。そうやって、わたしは河内を征服したったんや。


そういう河内を征服したような和尚が、しゃあないおやじに呼ばれて、三部経を読んでくれと言われた。「あんた真宗の真似して三部経、三部経と言うな。天台には天台のありがたいお経があるから、お経は坊主にまかせておいて、ぐだぐだ言わんとけ」と言うて、わたしは勝手に別のものを読む。三大部をもって行った。


三大部というのはご存知かどうか『法華経玄義』『法華経文句』『摩訶止観』の三部のことで、シナ隋時代の高僧で天台宗の教義を成した智顗、世に天台大師・智者大師と呼ばれる方が著したものですけど、これはむずかしい。相手がわかってもわからんでも、まあ仏さんはもう死んどるのや。しかし、わたしには勉強になりますやろ。なかなか手にとらんような本を、仏さんのお陰で一所懸命、声を出して読みよる。出されたお茶を飲み飲みしながら、一時間でも二時間でもくたびれるまでやっているんだから、向こうの遺族も、とっくに傍におりゃせん。


つづく、


毒舌仏教入門 苦楽は一つなり 今東光






令和六年九月 天台僧墨蹟カレンダー

❖ 雪月花 中尊寺貫主 奥山元照師

 

四季における自然美の総称として 代表的なことばであり、四季の風情 は仏の世界を露呈している。したが って、くよくよすることなく、季節 の変化の裏に貫かれている不変の真 理に気づき、のんびりと穏やかな日々 を過ごしたいものである。