阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖幸福への招待

引用 天台宗公式サイト 法話集


世界一大きい『般若心経』 浜松市 雲龍寺

 

幸福への招待


攘 災 殖 福  災いを払い福を殖やす

仏 教 尤 勝     仏教が尤もすぐれている

誘 善 利 生  善に誘い衆生を導く

無 如 斯 道  この道以外に最上の方法はない


延暦廿五年正月六日

  沙 門 最 澄


 上の文は、宗祖伝教大師最澄が、日本の天台宗(比叡山)を開かれた延暦廿五年(八〇六年)正月六日に書かれたものであり、ほとんどの天台宗のお寺に額として掛けてあると思います。


 日々の生活において、あらゆる災いを除いて幸福になるには、仏教の教えを理解して、毎日の生活に生かしていくことが、最善の方法であるとあります。般若心経は、我々にとって一番身近なお経で、拝まれるかたも多いと思いますし、写経される方もおられると思います。この般若心経の功徳というかご利益というか、その主な内容は、


 「 一切の苦悩と災いからの解放 」(度一切苦厄)です。それには、

 「 我が我がの心に束縛されない 」(心無罣礙)という条件が付きますが。


 いずれにせよ、仏教の目的は苦厄からの解放と、それによって得られる幸福への招待です。


 苦の代表的なものに四苦があります。


  「 生まれる・老いる・病・死 」


 「生」生まれてきたこと自体が、生きること自体が苦である。この状態を表していると思い、鴨長明の『方丈記』の最初の文を載せます。「諸行無常」あらゆるものは留まっていない。常に変化し、形あるものは消えてゆく。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとも水にあらず。よどみに浮かぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)またかくのごとし。たましきの都のうちに棟を並べ、甍(いらか)を争える高き賤しき人の住まひは世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ねれば、昔ありし家は稀なり。或は去年(こぞ)焼けて、今年作れり。或いは大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしへ見しひとは、二三十が中にわずかにひとりふたりなり。朝に死に夕べに生まれるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人いずかたより来りて、いずかたへか去る。また知らず、(注)仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主(あるじ)と栖と無常を争うさま、いはばあさがほの露に異ならず。或いは露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日にかれぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。


(注)仮の宿であるこの世で、誰のためにあくせくし、どういう因縁で豪華な生活に気をとられているのか、そうしたあくせくした人も、その豪華な邸宅も、先を争うように変わってゆく、消えてゆく。(『日本古典文学全集』)


  「老」老いていくという苦。


 精神の老いは気が付くことです、気が付けば若く保とうとする努力ができます。肉体の老いは必ずきます、生まれてきた以上必ず来るものです、肉体の老いを苦と思うと苦になります、苦と思わず穏やかに受け止めることです。


  「老人訓」 

                                無理するな

        転ぶな

        風邪引くな


  「病」病気になるという苦。


 健康な日々を送っている時、その健康に感謝するのは残念ながら大変むつかしいことです。これができれば病気になるのが激減すると思いますが。


  病気になって初めて、健康のありがたさを知り、

  病気になって初めて、自分の健康管理の不意気届きを知り、

  病気になって初めて、その不自由を知り、

  病気になって初めて、看護の大変さ、ありがたさを知る。

  外にも色々なことを、病気になって初めて学べると思います。


 病気になってしまったら、その病気と戦わなければなりません。多くのひとにお世話になり、大金を払い、痛い・つらい・不自由なめにあいます。それ故、何かを得、人生の糧としなければ馬鹿馬鹿しいです。それに病気の「気」の方は努力すれば健康でいられます。


  「死」かならず死を迎えるという苦。


 生老病(しょうろうびょう)を克服、或は理解できたとしてもなお興る死に対する苦。それは死後のことを恐れるからです。体験できることではありませんし、誰しも考えない人はありません。人は必ず訪れる死があまりにも恐ろしいので、気が付かない素振りをしています。自分には訪れないかのように振舞っています。


 宗教に逃げ込む。宗教に頼ると考えず、心理を学ぶ。現実を知ると考えてください。お釈迦様の説かれたお経は、生き様の教えであり、生きている人間に対する教えであり、死者に対する教えはありません。つまり宗教は、いかに生きるかを教えてくれるものです。


日々死を考えながら生きてこそ、本当の生き方があり、本当の生き方ができると思います。


 「 度 一 切 苦 厄 」( 一切の苦悩と災いからの解放 )

 「 心 無 罣 礙   」( 我が我がの心に束縛されない )


「般若心経」にありますこれを実現できたら、心に極楽浄土が持てます。これは娑婆世界に住む我々人間には決してでき得ることではありませんが、達成目標として持つだけでも、或は、このことを知るだけでも、その生き方に変化があると思います。

 同じ生きるなら、幸福な人生を送りたいものです。


(文・中村豪瑛)


掲載日:2012年07月19日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=112



❖雲龍寺




 

龍雲寺の沿革 南北朝時代 1330年代開山

宗派   臨済宗妙心寺派


名称   西湖山龍雲寺


開基   木寺宮康仁親王  光厳天皇皇太子、後二条天皇御皇孫


開山   特賜智覚普明国師 (春屋妙葩)足利義満指南役、京都相国寺実質開山


本尊   阿弥陀如来  指定文化財 平安時代作


龍雲寺の歴史 『木寺宮康仁親王』

龍雲寺ができたのは、今から約七百年前(南北朝時代)です。開基(寺院を開創した方)は、御二条天皇の御皇孫にあたる木寺宮康仁親王です。康仁親王は、天皇になる正当な血筋でしたが、後醍醐天皇の台頭によりその道が断たれ、東国に下向され、現在の龍雲寺東墓地あたりに御館を建立され、さらに祈願所として御館の南西に寺を建てられました。これが当龍雲寺です。寺を開くにあたり、後に普明国師と仰がれる立派な方を勧請開山として迎え、康仁親王の第二子を出家させ、龍雲寺第一世となさいました。

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きらり!わたしの一隅 横山照泰師