阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖玄 関(げんかん)

引用 天台宗公式サイト 法話集




 

玄 関(げんかん)


 この言葉は、もとは玄妙(奥深くてすぐれた)な道に進み入る関門、すなわち仏門にはいる入り口を意味し、転じて寺の書院の入り口を指すようになったものです。


寺の書院は、学問をしたり講義を聞いたりする場所ですから、むやみに人を入れるわけはいかないようです。


 このように「玄関」は実用的というよりも、むしろ格式的な意味合いのほうが強かったといえます。明治時代以後になって玄関は一般化され、建物正面入口をだいたい玄関と称するようになり、最近ではその格式的な意味はしだいに薄れ、より機能的、合理的な形になってきたようです。


「その家の玄関を見れば、そこの家に住む人の人柄が判る」とよくいわれますが、玄関は家の顔なので、履き物などが整理整頓された家の玄関に立つと、思わずこちらの気持ちがシャンとなってくるものです。


 自分の足下を固めることを「脚下照顧」といいますが、日頃の習慣が大切なようです。


掲載日:2010年12月14日

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