阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖虚空のごとく生きよ

引用 天台宗公式サイト 法話集


六角堂 秘仏 虚空蔵菩薩 御前立


 

虚空のごとく生きよ


「色即是空、空即是色」はどなたもご存じの般若心経の有名な文句です。でもこの教えを、実際、どのように生かしたらよいのか、わかりにくいものです。そこで、ご法要のときに天台宗でよく唱えられます、もうひとつの言葉をご提案しましょう。「処世界(しょせかい)、如虚空(にょこくう)」、すなわち、世界に処(しょ)する(※居る)ときは虚空(※なんにもない)のごとくであれ、ということばです。


 わたしたちの身の回りはあまりにせわしない。毎日がしなければならないことでいっぱい。したくてもできない、やりたくなくてもやらなければならないということが多すぎます。それこそ生きていることが嫌になっちゃうこともあります。こんなときには「虚空のごとし!」。


 拙僧は仕事がら、お葬式によくかかわりますが、故人は最期を迎えたとき、生きてきてよかった、生まれてきてよかった、と思ってくれていたかどうか、心配なときがあります。人生、いつも充実しているとは限りません。世知辛い世間、しがらみの多い世界。将来も不安、過去も後悔。こんな世の中のことを「娑婆(しゃば)」とか「憂き世(うきよ)(※浮世)」とかいいます。娑婆は梵語で「サハー」といい「忍土(にんど)」と訳され、つらいことがいっぱいの世界のことです。どんなに頑張って成果をあげた人でも最後には死が待ちかまえています。ときによると何のために生まれてきたのか、深い懐疑に突き落とされることもあるでしょう。


 このうっとうしい娑婆をどう乗り切るか。「虚空の如く」、これでしょう。どのようにしたらよいでしょうか。ふつうによくやっているのは、映画を見たり旅行に行ったりする憂さ晴らしです。でもこれは日常の延長の趣味の範囲です。お寺に行きましょう。法事に参加しましょう。お寺や法事は、観劇や旅行と同じように、非日常空間に触れることができるのです。「非日常」から見れば「日常」はたわいのないもの。これを達観すれば軽妙洒脱の感を得られます。


 でも軽薄ではいけません。虚空の「如(ごと)し」です。「如」は「同じ」であるとともに「似たようなもの」という意味をもちます。だから世間の重みも同時に知ってこそ、軽妙さが生きてくるのです。こだわりをなくしてこそ、ほんとうに大切なもの、こだわらなくてはならないものが見えてくるのです。この逆説が般若心経の真意と思われます。この自在感を得るこころのありようを作るのが「虚空の如くあれ」でしょう。



(文・最勝寺 渡辺 明照)


掲載日:2016年08月01日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=173





❖六角堂 栃木市


太平山連祥院は、天長四年(八二七年)慈覚大師円仁により創建されました。その後連祥院は、淳和天皇御宸筆の勅額を賜り永世勅願所となり、太平山の神事・仏事をすべてとりしきる別当寺院となりました。


創建より七百余年は平穏でしたが、天正十三年(一五八五年)、皆川氏と北条氏が太平山上において、数十日間に亘る戦を繰り広げ、多くの寺院、社宇が焼失してしまいました。戦後直ちに当時の連祥院住職が、太平山内の寺院、社宇の復興に着手し、三年後の天正十六年には主な堂宇が再建されました。江戸期に入り、徳川家との深い関係(四代将軍家綱の生母高島御前が、太平山南麓瑞穂村高島の生まれで太平山を尊崇していた。)から、連祥院は延享三年(一七四七年)に大寺格に昇進し、近郷の多くの人々の信仰をあつめました。



寺伝によると、当山のご本尊虚空蔵菩薩像は、山城国山崎国宝寺の聖徳太子御作と伝えられる仏様で、慈覚大師円仁が夢の中で観見し、淳和天皇に請い太平山に移したとされています。


しかし、文化財申請の際に鑑定しましたところ鎌倉時代の作であることがわかりました。国宝寺からの虚空蔵菩薩像は災難にみまわれ消失し、同じお姿の仏様を作られたのではないかと思われます。


虚空蔵菩薩は、大空のごとく果てしのない大きな蔵を持ち、その蔵の中に限りない智慧と福徳をおさめており、人々の求めに応じて智慧を授け、福徳を増進し、災いを滅除するといわれていることから、智慧と福徳の仏様といわれています。


引用 公式サイト

https://www.tochigirokkakudo.or.jp/about/