阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖瀬戸内寂聴遺句集「定命(じょうみょう)」




瀬戸内寂聴さん未発表句など刊行へ…「死ぬる日もひとりがよろし陽だけ照れ」


2021年に99歳で亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、最晩年まで詠み続けた俳句の句稿が、京都市右京区の自坊「寂庵」に残された遺品から見つかった。


限りある命や人生を詠んだ未発表句を含む166句が、遺句集「定命(じょうみょう)」として5月29日に小学館から刊行される。 


瀬戸内さんが俳句に興味を持ったのは60歳代。俳人の黒田杏子(ももこ)さん(2023年死去)らが寂庵で開く句会に参加するようになった。17年に心臓の手術を受けた後、これまでの句をまとめた初句集「ひとり」を自費出版し、星野立子賞などを受賞した。 出版を機に句作に励み、知人に宛てた手紙には〈小説とちがい、私にとっては俳句は無責任な愉(たの)しみだけを与えてくれるので今では無二の友になりました〉と記し、周囲にも「死ぬまでに句集をもう一冊出したい」と打ち明けていたという。


死後、書斎を整理していた秘書が、新聞の切り抜きや原稿用紙に書き付けられた膨大な数の句稿を見つけた。 収録句のうち、約70句は95歳を過ぎてからの作品。〈五百冊書きついだ路の新緑や〉と作家人生をすがすがしく振り返ったものや、〈死ぬる日もひとりがよろし陽(ひ)だけ照れ〉と自らの最期を思う句もある。また、〈バレンタイン九十七歳届くチョコ〉には寂聴流のユーモアも利いている。 


一方、60歳代では、激しい情念を込めた〈哭(な)かぬだけ蛍の恋の狂おしく〉を詠んでいる。 タイトルの「定命」は定められた寿命を意味する仏教用語で、収録句〈菖蒲湯(しょうぶゆ)に全身ゆだねわが定命〉から取られた。 


句集に解説を寄せた瀬戸内寂聴記念会の竹内紀子事務局長は「飾らない句が多く、最晩年の作からは、彼女がどのように生きて死ぬかを考え続けていたことがよくわかる」と話している。


配信 読売新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b655fd761d1ed113a75ceead2cb14e196c40448





 

死後見つかった心に響く「いのち」の遺句集


「死ぬまでにもう一冊出したい」生前こう語っていた瀬戸内寂聴氏。

死後、寂庵の書斎からおびただしい数の句稿が見つかった。 

”小説とちがい、私にとっては俳句は無責任な愉しみだけを与えてくれるので今では無二の友になりました。死ぬまでつづけるつもりです。”

(95歳のとき知人にあてた手紙より)

晩年の心の友であり、創作に注力していた俳句。万人の心に響く「いのち」の遺句集。


”先生が亡くなった後に、書斎を片付けていると原稿用紙のすみっこ、ノート、切り抜いた新聞の端っこ、メモ用紙に先生の文字で俳句がかかれていた。こうして、先生は仕事の合間や、ふといい俳句がうまれたときに書き残していた。”

(瀬尾まなほ 瀬戸内寂聴元秘書)


瀬戸内寂聴さん 未発表の俳句見つかる 徳島への思いも


徳島市出身の作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、晩年、ふるさと徳島への思いなどを詠んだ未発表の俳句が見つかりました。


瀬戸内寂聴さんは、徳島市出身で、3年前、99歳で亡くなるまで、恋愛や歴史などをテーマに数々の小説を発表しました。


寂聴さんの教え子で作る瀬戸内寂聴記念会によりますと、京都市にある寺院「寂庵」で、元秘書が去年夏ごろから、書斎を整理していたところ、原稿用紙やノート、新聞紙などに書かれた多くの未発表の俳句を見つけたということです。


このうち、96歳で詠んだとみられる「ふるさとや阿波の遍路の鈴の音」のほか、「ふるさとの柚子匂ひおりデパ地下に」は、晩年、ふるさと徳島に思いをはせていたことがうかがえます。


また、新型コロナウイルスの影響で、徳島市の阿波おどりが戦後初めて、全日程中止されたことについて、98歳だった寂聴さんは、「阿波踊りなくなる噂に湯のみ倒す」と、詠んでいます。


見つかったうち、166の俳句は5月29日発売される句集に収められています。


記念会の竹内紀子事務局長は「寂聴さんの飾らない性格が出ています。コロナ禍で人に会えなかったためか、晩年はふるさとを懐かしんで俳句を詠んでいたと思う」と話していました。


配信 NHK

https://www3.nhk.or.jp/lnews/tokushima/20240529/8020020345.html