阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖「華(はな)は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きげん)に生(お)う」

引用 天台宗公式サイト 法話集




 

「華(はな)は愛惜(あいじゃく)に散り、草は棄嫌(きげん)に生(お)う」


という表題の言葉は、花が咲くと、人は喜び、惜(お)しまれつつ散るのに、雑草は嫌がれつつ生えては捨てられる。花も草も共に大自然の因縁の働きによって生じて来たのです。花は人に喜んでもらいたいために咲いたわけではなく、雑草は人に嫌がらせをするために生えたのではありません。なのに、人間の都合で勝手に良いの悪いのと差別することを言う格言です。


 私たちは、幾多の因縁のお陰(かげ)によって歩んでいる今日ですが、生老病死(しょうろうびょうし)を免(まぬが)れる方法はありません。百パーセントの確率です。なのに、老いることを厭(いと)い、若くありたいと若さに執着(しゅうじゃく)します。若さを保つための努力は惜しみません。こんな川柳(せんりゅう)があります。


 母親のテニス姿に目を背け


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 若さへの憧れ、そこに絶大な価値を置こうものなら、老後は意味のないものになってしまいます。老いの中にも病の中にも優雅な人生はあるのですから、それを見出すことの方が肝要(かんよう)です。


 良寛さんは友人に宛てた手紙の中で、


「災難に遭時節(あうじせつ)には災難が遭がよく候(そうろう)、死ぬる時節には死ぬるがよく候。是(これ)ハこれ災難をのがれるる妙法(みょうほう)にて候」

と、言っていますが、老いたら老いたところで、病気になったら病気になったところで、それは因縁によって与えられたものとしてしっかり受け止め、その中に真実の生き方を探すことなのです。


掲載日:2006年06月15日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=30


❖慈覚大師御影供


 

大講堂において慈覚大師御影供が行われました。


慈覚大師円仁様は、第3世天台座主となり、比叡山の基礎を作り上げた方ですが、9年間もの間、中国で苦難の旅をされました。その旅行記である「入唐求法巡礼行記」は世界三大旅行記としても知られています。


法要では、茶菓を献じ、慈覚大師を讃嘆する徳行讃を唱えました。


天台宗公式サイトから