阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖一心に拝む

引用 天台宗公式サイト 法話集





 

一心に拝む


 お経のはじめの文句に、「一心頂礼」、「一心敬礼」、「一心称名」と言う言葉が出てきます。何の気なしに「一心」とお唱えいたしておりますが、そこには深い意(こころ)が隠されています。昔から、お経を読むには三つの読み方があると言われています。それは口読、身読、色読(しきどく)の三つで、これを三読と言います。


 口読は、口で読むことです。心読は、心で理解して読むことです。色読の色は、いろという字を書きますが、仏教では身体のことを言いますから、色読は身体で読むことです。身体で読むと言うのはお経に書いてあることを実行に移すということであります。


 口読は誰にも出来ますが、心読は容易ではありません。お経の意味を理解することは誰にも出来ると言うものではありません。まして色読に至っては更に難しいと思います。


 観音経とういうお経には、私たちがいろいろな苦しみに遭遇したとき、一心に南無観世音菩薩と唱えすると観音様は、その声を聞くとすぐにお出でになって私たちを救って下さると説かれています。火事にあっても、水に溺れても、航海で船が台風にあっても、又怪我をさせられようとしても、その時に一心に南無観世音菩薩と唱えると救って下さる。願い事も叶えて下さるというのです。


 また、こう言うお話があります。「生前中に、いつも南無阿弥陀仏、ナムアミダブツと唱えていたお婆さんがおられました。そのお婆さんが亡くなった時に背中に一つの葛籠(つづら)を背負って閻魔様の前に連れて来られました。さて、この婆さん、地獄へ送るべきか、極楽へやるべきか、閻魔様の裁判が始まりました。その時、お婆さんは閻魔様に申し上げました。『閻魔様、私は一生涯いつも念仏を申してまいりました。私の唱えた念仏は葛籠の中にいっぱい入っております。どうぞお調べ下さい。』閻魔様は、感心な婆さんだと思って家来の赤鬼にその南無阿弥陀仏の詰まっている葛籠を開けさせました。閻魔様がその葛籠の中の念仏を観ると、どれもこれも空念仏で、一心に唱えた念仏は一つも無かった。だがよく調べて観ると只一つ底に念仏は有ったのです。その念仏は、雷が落ちた時に思わず大声を上げて助けてと一心に唱えた本当の念仏だったのです。たった一遍、心の底から唱えたお念仏、それによってお婆さんは救われました。」


 このように、毎日毎日お念仏を唱えても空念仏であったら救われません。救っていただくためには、一心にお経を読み、一生懸命に拝めば、仏様は私たちを救って下さると確信をもつことが大事なのです。


 お経のはじめの一心は、何事にも通じます。ご飯を食べるとき、勉強をするとき、何をするときにも一心になる。その時、その時、そのことに全身全霊を集中すると必ずよい結果が得られると思います。


(文・山本亮裕)

掲載日:2012年04月20日

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