阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖南 無

引用 天台宗公式サイト 法話集



南無仏太子立像
聖徳太子が二歳の春、東方を向いて合掌し「南無仏」と唱えたという説話上の姿をあらわした像。南無仏太子像は『吾妻鏡(あずまかがみ)』承元四年(一二一〇)条が史料上の初見であるが、現存するのは鎌倉時代後期以後のもので、この頃造像の機運が高まったとみられる。本像は類品のなかでも作行が優れ、現存最古の正応五年(一二九二)銘を有するアメリカ、ハーバード大学美術館像に相前後する制作と考えられる。近年の保存修理によって表面の汚れが取り除かれ、合掌する手から舎利(しゃり)に擬(なぞら)えた鉱物質のもの一粒がみつかった。袴(はかま)の正面にはかつて別材の帯の結び目を取り付けていた。
 


 

南 無(なむ)


 仏様に手を合わせる時、その仏様が阿弥陀(あみだ)様だとしたら、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とお唱(となえ)えします。では、南無(なむ)とはどういう意味なのでしょうか。


 印度(インド)の国に行かれた方は、その国の人びとが合掌して、「ナマス・テー」と挨拶する光景を御覧になられたことがあるでしょう。


 これは「あなたに敬礼します」という親愛と尊敬を込めたことばで、出会った時も別れる時も「ナマス・テー」です。このナマスが「南無(なむ)」なのです。ナマスの語源はナモーで、漢訳して南無と表記しました。音(おん)を写したのです。南無とは、帰命(きみょう)、敬礼(けいれい)の意味で、心の底から全身全霊で仏様を信じることなのです。ですから、「南無仏(なむぶつ)」と唱えたならば、「真心を込めて仏様を信じます」と表明したことになるのです。


 さて、お寺参りをなさる機会がおありでしょうが、その時、まずはじめにお堂におまつりされている仏様のお名前をしっかり確かめてから、お唱えしましょう。


阿弥陀様なら、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」


お薬師様なら、「南無薬師瑠璃光如来(なむやくしるりこうにょらい)」


観音様なら、「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」


お釈迦様なら、「南無釈迦牟尼如来(なむしゃかむににょらい)」        

などとなる訳です。


 また、マンガ「一休さん」などで、「たすけて」というところを「南無三(なむさん)」という場合があります。これは、南無三宝(なむさんぼう)のことで、三宝とは、仏・法(仏の教え)・僧(仏教教団)の三つの最も大切な心のよりどころという意味ですから、対処に困ってすがる思いでつぶやいたのかも。


 仏様を信じ、仏様がお説きになった教えをよりどころとし、ただひたすら祈りつつ歩むところに心の平安があります。そして、あらゆるものに支えられて生きていることにも気付くのです。


    腰掛(こしか)けし石を

       拝(おが)んで 立つ遍路(へんろ)


掲載日:2004年09月01日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=11