阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖ステキな每日を

引用 天台宗公式サイト 法話集


椿堂本尊 千手観音菩薩立像

 

ステキな毎日を


 比叡山には、世界中からたくさんの人々がいらっしゃいます。


 海外から来られた方々から、日本という国や私達日本人の何気ない日々の生活をほめてもらえる事があり、嬉しくなったりします。「日本はどこへ行ってもゴミが少なくてきれい」、「日本は昔からの伝統をきちんと守っていて、その文化にふれると心が癒される」、「日本人はいつもマナーが良く、他人を思いやる気持ちがあり、親切だ」等々。でも、そういった事は、別段私達が意識して行っているわけではないのです。普通にしている事を特別な事としてほめてもらって、返って驚いてしまったりします。


 そんな日本の伝統や文化、日本人の心根とか、いったいどこから来ているものなのでしょうか。


 奈良時代、聖徳太子は日本という国を国際社会と肩を並べられるしっかりとした国家とする為に、初めて法律を定めました。「十七条の憲法」です。第一条「和(わ)をもって貴(たっと)しと為(な)し、忤(さから)う無(な)きを宗(むね)と為(な)す」で始まる憲法は、自分以外の人の個性をちゃんと認めて、みんな仲良く幸せに生きていく事が大切であるという事を国の礎(いしずえ)にしたのです。


 平安時代、聖徳太子の考えを尊敬し、その教えを引き継いだのが伝教大師最澄様です。比叡山で学ぶ人々に基本となる姿勢を『山家学生式(さんげがくしょうしき)』という書の中に「国宝とは何をいうのか。それは道心(どうしん)〈自利利他の心〉を持っている人の事である。みんなそれぞれが今いる場所で頑張っている〈一隅を照らす〉そんな道心を持った人の事を、西の国では菩薩(ぼさつ)と呼び、東の国では君子(くんし)と呼んでいる。仏教の宝物は、自分が悟りを開く為にも、自分だけでなく、他人(ひと)の為にも力を尽くす事ができる人の事である」と記(しる)されています。


 その教えは比叡山で学ばれた鎌倉仏教のお祖師(そし)様たちも、お釈迦様をはじめとして、聖徳太子、伝教大師と紡(つむ)がれてきた教えを継(つ)いでいくという信念のもとに、新しい宗派を展開されたのだと思います。


 重複しますが、聖徳太子は「自分以外の人の考えを認めて、尊敬し合い、みんな仲良く幸せになろう」と教え、伝教大師は「仏教の修行というのは、自分だけのものではなくて、他人(ひと)の為に尽くす事〈忘己利他(ぼうこりた)〉が揃って完成されるもの」と教え、長い歴史の中で自然に人々の心に根付き、現代にまで伝えられてきたのではないでしょうか。


 だとすれば、これからも外国の人をして「日本て良いな、日本人はステキだなあ」と言わしめる素晴らしい国・人でいられるように、私達は心安らかに、日々をおろそかにせず、暮らしていく事が大事になるでしょう。


 私も毎日を楽しみながら、精進し、みなさんの幸せをお祈りしています。

                                      合 掌



(文・徳性寺 鷲田 禎彦)


掲載日:2016年05月01日


https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=170



❖比叡山延暦寺 椿堂


延暦寺創建前の時代に聖徳 太子が比叡山に登った際、自身が護持していた観音像を安置し、建立したとされる。この地に太子が愛用していた椿の杖を堂の脇に挿したとこ ろ、芽を出し育ったという伝説が残っている。堂の近くには椿の木がある。


椿堂は太子の命日とされる2月22日に営む法要や、僧侶が90日間、堂内に籠もって座禅に集中する修行「常坐三昧(じょうざざんまい)」の場として使われる。


織田信長の比叡山焼き打ち (1571年)で堂は焼け、現在の堂は1704年に再建された。本 尊の千手観世音菩薩像の高さは約85センチ。



千手観音胎内仏


《椿堂本尊の胎内仏》


椿堂本尊の千手観音像の胎内仏と伝わる金銅仏。室町時代の『叡岳要記』には、椿堂本尊 について「如意輪聖徳太子御本尊奉納腹心」と記され、”本尊の腹心 (胎内) に聖徳太子のご本尊を納入していた”とある。このような金銅の菩薩半跏像は従来、朝鮮半島伝来の弥勒菩薩と考えられるが、古くは如意輪観音とする例が多く、この記録の聖徳太子本尊の「如意輪」もこの像にあたると考えられる。7世紀(朝鮮三国時代か白鳳時代)の作で、朝鮮から伝来したか、日本でこれを写して作った可能性があり、比叡山に伝わる仏像としては最古 とされる。