阿闍梨【外伝】一隅を照らす

1995年生まれの女性僧侶が語る、今に生きる親鸞の教えー 片岡妙晶(真宗興正派慈泉寺僧侶)


❀天台宗ではありませんが、興味深く読ませて頂きましたのでご紹介させて頂きます。


引用 2023年8月28日中央公論編集部



 

生きづらさを救った親鸞の教え


──なぜ僧侶になったのでしょうか。


 私はお寺の生まれで、僧侶はもともと身近な存在でした。生まれ育った慈泉寺(香川県まんのう町)は創建500年。祖父が先代、父が現在の住職を務めています。


 高校卒業後は京都の美術短大に進学し、先人の知恵を受け継ぐ伝統工芸の世界をめざしていました。けれども進路を考えるうちに、伝統工芸の職人としてものを作るよりも、先人の説いてきた哲学そのものに関心があったことに気づきました。そこで20歳のときに短大を中退し、僧侶を養成する中央仏教学院(京都市)に入学したのです。


 私は兄と妹の三人きょうだいで、寺を継ぐのは兄と決まっていたので、僧侶にはなれないものと思っていました。身近であっても僧侶とは何をするのかよく知らなかったものですから、その道を諦める結果になるにしても、まずは学ぶことにしようと。



──卒業後、寺に住み込む「住職」ではなく、「布教使(ふきょうし)」を選びました。


 僧侶にはさまざまな資格や役割があります。お勤めを専門とする「式務(しきむ)」、ハワイやブラジルなどまだまだ仏教が伝わっていない海外に教えを広める「開教使(かいきょうし)」などです。私が選んだ布教使は、住職ではないからこそフットワーク軽く、いろいろなところに教えを広めていくことができる。一般企業で言えば広報にあたる存在ですから、「寺離れ」など現代の仏教の直面する課題が深刻化してしまった一因に、布教使の不足もあったのではないかと考えたのです。


 私は僧侶に「なりたくてなった」のですが、仏教界では珍しいようです。仏教学院でも、世襲制で実家の寺を継がなければならないから入学したという人がほとんどでした。


 実は、私は幼いときから生きづらさを抱えていて、小学校高学年から中学のころは不登校になりがちでした。世の中に対する言いようのない違和感、ままならない思いがあって。けれども自分の力では世間を変えられないし、そこから逃げること──例えば自殺を選ぶこともしませんでした。どうしようもない現実を受け入れながら生きていくしかない......。そうした違和感をうまく言語化して、どのように受け止めたらよいかを教えてくれたのが親鸞聖人の教えでした。私自身の実感を込めて教えを伝えられるのは大きな強みですから、布教使という道を選んだのです。


なぜ人は正しさを押しつけるのか


──どのような教えに共感しますか。


 私が違和感を強く感じていたのは、人はなぜ争うのか、自分の正しさを押しつけようとするのか、ということでした。人それぞれ別の考えを持っていても、議論を交わせば妥協点が見つかり、争いにならないのではないか。けれども多くの場合、どちらか一方、強いほうが自分の意見を押しつけてしまいます。私自身これまで弱い立場に立たされることが多く、私のほうが間違っているということでその場を乗り切ってきました。


 そもそも人間は誰もが間違っていて、正解を持たない存在です。唯一正しいのは仏様だけですから、人間同士の争いには意味がありませんし、そのなかから正義を見出そうとするから角が立つのです。


 では、なぜ人によって意見が異なるのか。それは人間が心を持っているから。例えば私は猫が好きですが、外を歩き回って汚いから嫌いだ、という人もいますよね。互いの意見をぶつけると、私は猫がかわいいのに、この人は攻撃してくる、嫌がらせをしているという気持ちになってしまう。けれども、ただ受け取り方が違うだけ、つまり人によって心が違うだけだと知っていれば、少し距離を置いてみることもできる。


 このように、心というものがあって人それぞれ違うのですよ、と気づきを得るのが、仏様の信心をいただくということです。心をなくすわけではないので、争いがなくなるわけではありませんが、信心を得て聞く耳を持つようになれば仲直りもできる。心の違う者同士が生きていくには、聞くことが大切なのです。


 これを親鸞聖人の言葉で「聞即信(もんそくしん)」と言います。意見が対立したときに、自分が正しいと主張するのではなくて、まず相手の話を聞く......難しいことかもしれませんが、頭の片隅に置いていざというときに実践できたなら、世の中はもっと生きやすくなるのではないでしょうか。



──ふだん、法話でもこのように説いているのですね。


 私も仏教学院で学んだときに、先生方が法話で伝えてくださったのです。知識や情報として聞くのではなかなか身につかないですが、先生方は布教使としても活躍していて、気持ちを込めた味わいとでも言えばよいでしょうか、先生方の実感とともに伝わってきました。


「聞即信」は真宗の根本中の根本と言える教えですから、さまざまな説き方ができます。語り手が替われば伝わる相手も替わり、受け取り方や、それによって救われる苦しみも違うはずです。だからこそ親鸞聖人は、教えを広めることに専門的に従事する布教使を立てたのだと思います。今でこそ布教使は資格になっていますが、親鸞聖人が真宗を開いた当初は、僧侶であれば布教ができて当たり前とされていました。真宗でも大谷派は今もそういうスタイルです。


 それではなぜ「聞即信」が必要なのか。人はひとりではなく、みなで生きていく存在だからです。真宗では、一人が必死に修行して悟りを開いてもあまり意味がありません。みなが教えを聞いて、聞く耳を持ち、みなで浄土に行きましょう、というものです。そこで布教を大切にし、「布教使」という字が当てられました。「師は仏であって、僧侶は法を伝えるお使いにすぎない」という親鸞聖人の想いが込められているからです。これは真宗特有の表記ですね。



──修行で悟りを開くことをめざすわけではないのですね。


 例えば、親鸞聖人以前の密教系の真言宗は、修行によって煩悩をなくすことで救われようと考えます。けれども親鸞聖人にとって、煩悩とは心と等しいもの。修行によって煩悩を減らすことはできるかもしれませんが、煩悩や欲をすべてなくしてしまったら、それは「私」なのか。何を見ても楽しくない、何を食べてもおいしく感じられない、そういう人生は幸せとは言えないでしょう。そうであれば、煩悩を抱えたまま生きていく道を考えよう。真宗はそのようにして開かれた教えです。とても現実的ですし、人間について「よい諦観」にあふれています。


 親鸞聖人は、人間というものを本当によく知っていた人だと思います。例えば、当時厳しく禁じられた「肉食妻帯(にくじきさいたい)」についても、実は多くの僧侶が裏で破っていたのですね(笑)。親鸞聖人はそうした僧たちを批判するのではなく、なぜ破ってしまうのだろう、そもそもなぜ禁忌とされているのだろう、とひたすら考えつづける。聖人君子ではない一人の人間として問題に向き合った上で、肉を食べ、結婚したのです。


◇片岡妙晶かたおかみょうしょう

 

1995年1月17日、香川県生まれ。小学五年生から不登校となり、高校は養護学校へ進学。

2013年、京都の美術大学へ入学。地域活性化や伝統文化等、様々な学外活動を行う。

2015年、大学中退し仏門を歩み始める。

2018年、布教使として活動開始。

2019年、カフェや居酒屋を舞台としたオリジナルWS「実践型仏教講座adopara」初開催。

2021年、地元出身の偉人をモチーフとした絵本「しょうまさん」出版。銀行跡地を会場に、仏法をインスタレーションで表現した個展「花は散らない」開催。町立図書館との共同企画「センパイ!聞いて」始動。

2023年、教誨師を委嘱。

全国の寺院にて布教活動を行う他、様々な団体・施設での講演活動、作品制作や展示、企画など幅広く活動中。