阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖ご縁とは

引用 天台宗公式サイト 法話集




 

「ご縁」とは


 護摩木や祈祷札の願意を拝見いたしますと「良縁成就」と書かれてあるのをよく見かけます。また「悪縁断絶」などというものもあります。「縁結び・縁切り」。良いことは自分に来るように、悪いことは自分には来ないようにというのは、誰もが共通した願いでしょう。


 この「縁」という言葉は「縁起の法」「十二因縁」などといい、お釈迦様が悟りを開かれて最初に弟子たちにお説きになった根本教理の一つ、悟りの内容そのものであります。「この世の現象は原因や条件が相互に関係しあって生まれ出た結果である。すべては縁によって成り立っているのだ」とお気付きになられたのです。


 「由縁」「無縁」「縁故」「血縁」「外縁」「今日は縁起が悪い」「良いご縁がありますように」「悪縁を切れますように」など、日常的に使われている言葉ですね。


 これらは「縁」という現象に良いものと悪いものがある、または原因と結果とつなぎ合わせる接着剤のようなもの、とみているのでしょう。「縁が無かったようだから諦めよう」とか「良いご縁に恵まれた」とか「ご縁を頂きたい」とか。それはある面けっこうなのですが、それだけでは理解がちょっと違ってくると思うのです。


 縁とは、ある事柄に私が遇うという縁があった、または遇わないという縁があった。ある現象と離れられない縁があった。自分にとって良いと思われる現象が生じる縁がなかった、という風に考えなおしてみてはいかがでしょう。「良い縁悪い縁」とか「縁が有る無い」ということではなく、私を包む全ての事柄も、一見無関係な現象も、私という存在も「縁」そのものと理解するのです。そうすれば「良い悪い」や「有る無し」は無意味であるとわかりますし、そもそもその区別すら無いと知ることができます。


 では「良いご縁」を祈ることは間違いなのでしょうか。「様々なご縁によって私は今ここに生かされている」と知ったうえで「良いご縁を結ばせてください」と祈るならば、それは清らかな心をもたらす最も近い方法なのです。



(文・恵光院 小鴨 覚俊)

掲載日:2020年08月01日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=220


◇伊崎寺

  滋賀県近江八幡市

 

伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。


伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。


その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。


所蔵されている仏像などから、伊崎寺は平安時代後期には存在したと推定されていますが、天台修験の拠点となったのは鎌倉時代以後と推測されています。



 

伊崎寺不動尊


相応和尚が葛川明王院(かつらがわみょうおういん)に籠られて、三の滝で修行中に不動明王を感得、歓喜して抱きついたところ、それは葛(かつら)の木でした。その木を三つに切って不動明王を造像し、葛川明王院、比叡山無動寺、そして伊崎寺へお祀りしたといわれています。葛川は山の中、伊崎寺は琵琶湖畔、そして比叡山は山上かつ琵琶湖の見える場所、つまり三つの寺院のちょうど扇の要(この三カ所を地図上で結んでみると、きれいな三角形になります)に位置します。伊崎寺をはじめとする三つの寺院は、相応和尚ゆかりの聖地として信仰され、大切にされてきました。

10世紀末(平安時代中期)の作といわれる伊崎寺の不動明王坐像は、2006(平成18)年に国の重要文化財の指定を受け、比叡山延暦寺の國寳殿に収蔵されています。


現在、伊崎寺本堂に安置されているご本尊は、1716〜1736(享保年間)年、8代将軍徳川吉宗が治める江戸期に奉安された不動明王坐像で、2011(平成23)年に仏師・松本明慶師によって修復が完成し、開眼供養が奉修されました


「木造 不動明王坐像」平安時代中期(10世紀末)重要文化財(伊崎寺蔵)


「木造 不動明王坐像」1732(享保17)年 泉州堺住の仏師による作


以上、伊崎寺公式サイトから、


http://www.isakiji.jp/




伊崎寺住職 北嶺大行満 上原行照大阿闍梨