阿闍梨【外伝】一隅を照らす
❖浄土宗開宗八百五十年

法然上人像 比叡山延暦寺大講堂


今年は浄土宗が開宗されてから八百五十年慶讃の年、各種の法要が執り行われます。

4月7日は若き日の法然上人が修行されたと伝わる『比叡山青龍寺』の報恩蔵で初日の法要が始まりました。浄土宗開宗法要が天台宗の青龍寺で?と思われる方もおられるかと思いますが、比叡山は日本仏教の母山として、数多くの宗派な祖師が若き日に研鑽修行をつまれました。昭和三十年代から四十年代、時の執行、叡山祖賢師や葉上照澄師、また天台座主・山田恵諦師らによって比叡山は多くの宗派に解放され、浄土宗や日蓮宗、曹洞宗等に各祖師達縁の地を活用して貰っています。青龍寺報恩蔵はその折に建立されました。現在、青龍寺は天台宗寺院でありますが、浄土宗総本山知恩院において管理されています。



◇黒谷青龍寺  

比叡山延暦寺は東塔、西塔、横川(よかわ)の3地区に分かれ、それぞれがさらに「○○谷」と称される小地区に分かれます。これらを総称して「三塔十六谷」といいますが、これらとは別に、「三塔十六谷」に含まれない「別所」が2か所(黒谷、安楽谷)ある。青龍寺はこのうちの黒谷別所に位置します。

開基は天台座主良源(慈恵大師、通称元三大師)と伝えられ、久安6年(1150年)法然が18歳のとき、青龍寺の叡空の門に入りました。叡空は彼を「法然房源空」と名づけ、法然は承安5年(1175年)43歳のとき浄土宗開宗に至るまで、そこを経典の探求の地としました。織田信長の比叡山焼き討ち元亀2年(1571年)により、法然房の建物は燒失、当時法然の墓もあったされます。




(黒谷青龍寺 画像知恩院公式サイト)

 

浄土宗850年、法然が修行した比叡山青龍寺で法要 9日から知恩院


南無阿弥陀仏と唱えれば、阿弥陀如来に導かれ、極楽往生できる。こう説いた法然(1133~1212年)が平安末期、浄土宗を開いてから850年。総本山・知恩院(京都市東山区)による慶讃(けいさん)法要が7日、始まった。初日は、法然が修行した比叡山の青龍寺(京都市左京区)で営まれた。


 武士が台頭した平安末期、争いが続き、疫病や災害も相次いだ。正しい仏法が伝わらず、この世は終わるという末法思想が広まった。


 美作国(今の岡山県)で生まれた法然は比叡山で修行し、18歳のとき、山中の青龍寺の報恩蔵(ほうおんぞう)にこもった。経典を読み続け、約5千巻に及ぶ一切経を5回読破したという。


 43歳だった1175年、南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば、すべての人が平等に救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)の思想に達した。その後、比叡山を下り、念仏の教えを説いた。


 浄土宗では、法然が専修念仏の思想に至った1175年を開宗としている。青龍寺は、天台宗総本山・比叡山延暦寺(大津市)が管理していたが、約50年前から知恩院が担うようになった。境内には、若いころの法然の像がある。


 7日は知恩院や延暦寺の僧侶約50人が参列した。まず、法然がこもった建物を復元した報恩蔵で念仏が唱えられた。


 その後、本堂で法要があった。導師を務めた知恩院の貴田(ときだ)善澄(ぜんちょう)執事長が、法然の遺徳をたたえる表白文を読み上げた。うっそうとした木々に囲まれた境内に念仏の声と木魚の音が響いた。


 慶讃法要は9~14日、知恩院で執り行われる。9日午後2時から、法然像をまつる御影堂(みえいどう)(国宝)で開白(かいびゃく)法要がある。14日の結願(けちがん)まで各地の僧侶が参列する。


 貴田さんは「法然上人が青龍寺でご苦労なさったことを想像しながら、法要を勤めました。今後は、知恩院でお参りして良かったと喜んでもらえる法要になればいい」と話した。


朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASS474DC4S47PLZB01FM.html?ref=smartnews


◇天台宗と他宗派との交流は下記のブログにてご紹介しています。


◇比叡山延暦寺 『生源寺花まつり』四月八日開催



天台宗公式サイト