阿闍梨【外伝】一隅を照らす

❖忘己利他(もうこりた)


引用 天台宗公式サイト 法話集



(曼殊院門跡)


 

忘己利他(もうこりた)


 「悪事を己に向え 好事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極みなり」


 悪事というのは「わるいこと」というのではなくて、人の嫌がる仕事、手間暇のかかる仕事などであります。好事というのはその反対で、やりやすい仕事、苦労のいらぬ楽な仕事、誰にでもすぐにできる仕事であります。この言葉は「しやすい仕事を他の人にまわし、自分は骨の折れる仕事を、自ら進んで引き受けてやる心がけを持って他人のことを思いやること」の出来る人、相手を喜ばすことの出来る人を仏教では「菩薩」というのです。


 宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」のようなへりくだった態度、常にやわらかな心で、自分を勘定に入れないで世のため人のために、自分のことよりもまず相手のことを思いやる心を持っている人、相手の幸福を願わずにはおれないとという菩薩のような心を持っている人、「先度他身自度」の教えであります。人を幸せにしたい、自分は最後でいいんだ、他人の幸福を願わずにはおれない、これを菩薩の行願といいます。菩薩の生き方は、「上は菩提を求め、下は衆生を教化す」ともいわれますが、利他行に励む人です。


 「人の身を渡し渡して 己が身は 岸にあがらぬ 渡しもりかな」


 仏の教えは慈悲と智慧です。慈とはいつくしみの心であり、人々の幸せを願う心です。悲というのは、人々の声にならないうめき声を聞きとり、救わずにはおれないという心であります。会社や地域の為に笑顔を忘れず、生き甲斐をもって混沌とした世相を「もうこりた」と言わずに、少しでも自分の周りが明るくなるように一人ひとりが努力精進して社会に奉仕して行くことが、己を忘れて他を利する菩薩行になるのではないでしょうか?


 また布施を行うに当たって、施者・受者・施物すべてが自分を忘れて他の為になるように心がけることができたとき、はじめて功徳が生じるという教え(三輪清浄)もあります。つまりしてやるのではなく、させていただくという清らかな心が大切なのではないでしょうか。


 「施そう 真心こめて 惜しみなく」


(文・中川霊誉) 

掲載日:2012年10月22日

https://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=116 



(曼殊院門跡)