❖なぜ答えを教えないですか?


『お前が得心したら、それが今の答えや。人と自分を比べたり、いろいろある答えを比べたり、そうするから間違う。お前が自分で納得したことが答えや。答えは一つじゃない。足がしっかり着地してると、答えがいろいろ変化できる』


なんか阿闍梨さんの答えがよう分からんのです。ちゃんと言われてへん気がするんやけど、なぜ答えを教えないんですか?


『そうかあ?ワシの言うことが分からんか?』と逆に尋ねてきた。


はい、難しくはないんやけど、分からんっていうか、、、、


『どういうこっちゃ?』


阿闍梨さん、「それもあるなあ」って、よう言うてますやん?あれが分からんようになるんです。「これしかない」って言われたらはっきりするのに、「それもあるなあ」っていうのは、なんでもありって話やから、何が正解なんか分からんのです。混乱します


俺は自分の考えをストレートに言う。言い切る自信があるからいう。自分が正しいと信じてるから言う。でも、阿闍梨さんは「それもあるなあ」といなすような言い方が口癖。


『ふーん、そうか』


『お前が得心したら、それが今の答えや。明日は明日の答えがあるかも分からん』


、、、、、 (なんや?ますます分からん!分からん言うてるのに、ますます分からん)


『それも、分からんか?人と自分を比べたり、いろいろある答えを比べたり、そうするから間違う。お前が自分で納得したことが今日の答えや。答えは一つじゃない』


そしたら、今日納得したことが今日の答えで、明日それが変わってもええってことですか?


『そうや』


答えって、一つはっきりしてるから答えじゃないんですか?


『一つに決めたって、納得でけへんかったら、それはお前の答えにはならへんやろ?』


それはそうやけど、お前の答えとか、誰それの答えとか、そういうのはおかしいんと違いますか?だって、答えがみんな違うたら、ぶつかってしまうでしょう?


『なんでや?それはルールのことやろ?答えっていうのは自分自身の中にあるもんや。だから、今日の自分の中にある答えは、明日の自分の中にある答えと違ってええんや』


答えは教えてもらうもんじゃないってことかな?


『そうや』


でも、そうコロコロ答えが変わったら、足場が固まらない気がするんやけど


『いやいや、お前の足はすでに地面に着いとるで』


(???? どういうことやろ?)


『人間はな、変わっていく生き物や。だからいちばん納得できる答えも自ずと変わっていくもんや。足がしっかり着地してると、答えがいろいろ変化できる。足場が定まらんかったら、右往左往や。振り子は、足場がしっかりしてるから左右に揺れ動くことができるやろ?』


揺れるってブレてるのと違いますか?


『違う。迷いは経験になる。自分の足場が定まらんから経験が身にならんのや』


そんなら、なんで自分の足場が分からんのやろ?


『自分の足が見えてへんのや。人はな、自分で生きてると思うてるヤツほど足元が見えてへん。いろんなものに生かされてると分かってる人は、根っこや足元にしっかり目が向く』


(そんなもんないな?ほんまかな?)


『一本の樹木にたとえたら、根がしっかりしているから幹が太くなり、枝葉を自由に伸ばせるんや。お日さんの光もようけ受けるやろ。そしたら実が生りやすい。どれだけ自由に枝葉を伸ばせるか、そのことを「その枝葉もええなあ、この枝葉もええなあ」って言うてるんや。だけど、お前っていう木はなんの実がなるかはワシにも分からん』


(ふうーん)


大阿闍梨酒井雄哉の遺言 玄秀盛 著 佼成出版社