❖有名人を惹きつけるコツはなんですか?


『お前には「有名」って見えるか?ここはな、仏の世界やから、魂は皆一緒や。だから、ジャガイモが並んでるのと同じや。お前は下界を引きずって見てるんや』


「どっちが偉いんですか?」俺の阿闍梨さんへの質問は、初っ端から飛び抜けてアホ丸出しだった。阿闍梨さんに会ったのは平成元年十月二十七日、「阿闍梨様に会いに行きませんか?」と知人のご婦人二人に誘われて、運転手を買って出たときだった。


そこに、小さなおじさんがおった。お手伝いの人かな?そう思ったら、「阿闍梨さま〜」とご婦人方が声をかけた。(この人か?!あんまりオーラも感じへんなあ)それが第一印象だった。


座敷に通されてお茶を飲みながら、ふっと目を向けると阿闍梨さんのすわる両サイドに何やら拓本みたいな書が掛けてあった。分かる字と、分からん字があるけど、どうやら人の名前らしいとは思った。(たぶん、どっちも偉い坊さんなんやろな。聞いてみよかな)そんな軽い気持ちで聞いたけど、阿闍梨さんはニヤッと笑っただけで答えなかった。(なんや、阿闍梨さんも知らんのか)


後に、片方は「最澄」、もう片方は「伝教大師」だと聞かされ、それが同じ人物だと教えられたとき、あのときの光景が浮かんできて、久しぶりに穴があったら入りたい気分を味わった。


そんな俺だから、何年経っても怖いもの知らずでズケズケと聞いた。


阿闍梨さんとこには有名人も来てますやん?惹きつけるコツはなんですか?


『そうか、お前には「有名」って見えるか?』


いやいや、そうですやん


『ふーん、ここはな、仏の世界かなら、魂は皆一緒や。だから、ジャガイモが並んでるのと同じや』


ほんまに阿闍梨さんは、そう言い切った。そして、


『お前は下界を引きずって見てるんや


と指摘されて、(へえー、オモロイやんか)と感心した。


護摩焚きの日には、いろんな人がお堂に集まって手を合わせてる。国籍も宗派も職業も無関係に阿闍梨さんとこにやって来る。誰もが無我夢中で祈る。その姿は、確かに下界ではなかなか見られへんなあと、履物をそろえたり、座布団を並べたり、お茶を出したりしながら思うとった。でも、まあ俺も天の邪鬼やから、素直には尋ねへん。


皆、無我夢中で祈ってはったけど、夢中って「夢の中」ですやろ?現実は夢の中っちゅうことはないですよね?


『お前はほんまにどう解釈してるんか分からんけど、ようそんな屁理屈こねるなあ。あのな、無我夢中って、それこそ一生懸命ってことや』


いや、俺かてそれくらい分かってますよ。俺が言いたいのは、夢の中みたいなことじゃあ足元を掬われるってことです。しっぺ返しされますやん。現実の一生懸命が大事でしょ?


『それがお前らの生き方なんやろなあ』


半ば呆れたように声を出した。


『損得の尺度で見て生きてるんやろ?金貸した、借りた、それで儲けた、そうなんやろ?』


阿闍梨さん、言うてましたんやん。「人生は借り物」って


『アホか。そういう意味と違う。屁理屈言うな!』


『まだ、お前は分からんからな』とほくそ笑んだ阿闍梨さんは、どこかへ行ってしもうた。まあ、だいたい、話が終わるときって、そういう感じやった。


それが十三年間続いた。東京で事務所を立ち上げ、それ以降も時々"お山"を訪ねて会話をした。


阿闍梨さんが亡くなったのは平成二十五年九月二十三日、比叡山延暦寺の千日回峰行を二回満行。天台宗北嶺大行満大阿闍梨。大僧正。比叡山一山飯室谷不動堂長寿院住職。経歴としてはなかなかのものやと思うけれど、俺は死後一度も墓参りに行ったことがなかった。墓の場所さえ知らんかった。


ところが、亡くなって五年目のこと。たまたま関西に用事があって、兄弟子の藤波源信大阿闍梨を訪ねた。「元気ですか?」程度の挨拶のつもりだった。そのときはすっかり忘れていたけど、その日が阿闍梨さんの命日だった。


そう言われて、普段着ることの少ないスーツで行っていたことも不思議でしかたなかった。



大阿闍梨酒井雄哉の遺言 玄秀盛 著 佼成出版社