❖『一日一生』ってどういうことですか


『人は毎日、生まれ変わっとる。だから、良きにつけ、悪しきにつけ、すべて今日で終わりや。今日が始まったときに、今日ですべてが終わる気持ちで日々生きろ。朝起きれば、それが新しい誕生や』


阿闍梨さんは、よく「一日一生」という言葉を口にしていたし、求められて色紙に書いたりもしていた。


今では、俺の座右の銘にもなっているこの「一日一生」も、かっての俺には縁遠い言葉でしかなかった。


いつも言うてる「一日一生」ってどういうことですか?


『人は毎日、生まれ変わっとる。朝お気で、夜は寝るやろ?生きてるのはその間だけや。だから、良きにつけ、悪しきにつけ、すべて今日で終わりや。どんなことでも明日に持ち越す必要はない。明日という日はないかも分からん。だから、今日が始まったときに、今日ですべてが終わる気持ちで日々生きろ。ただし、今日やったこともやらなかったことも、明日につながる。それは気持ちの時点で決まってしまったことやから、明日じたばたしてもなんにもならん』


そんなことを聞かされた。


おおかたの人間は、昨日のことを引きずって、毎日いろんなことを積み残して翌日を迎えてる。だから、過去のことをいつまでも悔やんだり気に病んだりして、すっきりした気持ちになられへん。俺自身も、そんな生き方だった。でも、阿闍梨さんは、「今日は今日で終わり、明日は明日として始まる」ことを言った。


『山を歩くやろ?一日歩くと、わらじはボロボロになる。そして、次の日は新しいわらじを履いて歩き始める。もし、自分がわらじやったら?そう思うたら、今日のワシに明日はないんや』


時間が経つにつれて、これは生き方の極意やと思うようになった。


『「一日一生」っていうのは、言い換えると「今を生きる」ってことや。人間は、過去も未来も生きていない。生きているのは「今」だけ。その「今」をおろそかにすることほど人生を無駄にするものはない。だから、朝起きたときに「よし!俺は今日生まれた!」と言うて見ればええ。それを自分で言い、自分の耳で聞いてると、日々の完全燃焼の仕方が体に馴染んでくる。いちばん変わるのは、今日なことは今日のこととして受け入れられるようになる。「これは、嫌だ、あれは嫌だ」と選り好みする姿勢が「これも今の出来事なんや」と思えるように変わると、好きも嫌いもどうでもええ、という心境になる』


阿闍梨さんはそこまで言うてくれた。


要は、「一日一生」を生きようとする心は「囚われない心」「執着しない心」なんやな。


阿闍梨さんは俺に、よう言うてた。


『欲の深い人間は、欲という執着こそが自分を自分たらしめている"こだわり"やと思ってる。でも、それは単なる自分自身の決めごとでしかなくて、誰も共感してない。だから、執着する者ほど孤立していくんや』と。


『お前、明日のこと分かるか?』


分かりません


『そうやろ?そしたら、明日は金が入るやろか?と未来の心配なんかするな。そんなんを心配するから今の満足に気がつかんようになるんや』


阿闍梨さんは見透かすように付け加えた。


『「今」のことをやれんなら、挨拶から変えてみい』


どういうことですか?


『「おはようございます」って自分のほうから挨拶すると、相手も必ず返してくれる。これが昨日と違うこと。昨日と違う自分が出てくると今日がかわる』


また、あるときは、


『起きたときに深呼吸して、空気を吸うと、「ああ、今日も生きてるなあ」って実感するやろ?分からんか?なら、やってみい。そして、眠る前に、「神様、仏様、ありがとうございました」と心の中で言うてみい。自分もこれから神様、仏様のところへ帰るんや、という気分になる。そして、朝起きれば、それが新しい誕生や』


阿闍梨さんの言葉を自分の細胞に刻んでいった。



大阿闍梨酒井雄哉の遺言 玄秀盛 著 佼成出版社