❖酒井雄哉・ただ自然に 《解説》宗教学者・山折哲雄


テレビで、マラソンをよくみる。四十二キロを走り通すチャンピオンの姿をみているうちに、夢中になっている。


そのようなとき、千日回峰行者の酒井雄哉さんのことを、ふと思い出す時がある。行者は一日四十キロを歩き、それが断続的に千日間つづく。マラソンランナーは一日仕事であるが、回峰行者は千日仕事である。


一対一〇〇〇。これは凄い、と思わないわけにはいかない。


もっとも、マラソンは走るのが基本。それにたいして回峰行は歩きに歩く。そういう違いはある。


しかし、私は比叡山で深夜、回峰中の酒井さんの姿を追ったことがある。


そのときの行者はほとんど猿(ましら)のごとく走り、白い鳥のように宙を飛んで通り抜けていった。


歩く、ということに、もう少しこだわってみよう。


回峰行では、千日間で歩く距離の総計が約四万キロになるという。ほぼ地球の一周分である。


その千日回峰行を酒井さんは二度もやりとげている。それだけでもう、地球を二回りしたわけだ。


酒井さんは中国に渡って、五台山巡礼もやっている。ヨーロッパに飛んでローマ教皇と謁見し、世界平和巡礼というのにも挑んでいる。チベット仏教の聖地、中国山東省の孔子廟にも行脚の足を運んでいる。


ほとんど歩くことに我を忘れている。


歩くことにとり憑かれている。


その激しい情熱はいったいどこからきているのであろうか。


以前私は、インドの仏跡を訪れたことがある。そのとき、ブッダはその生涯にどれほどの距離を歩いたのだろうか、とふと思った。


ざっと計算して、誕生地のルンビニーから伝道地のガンジス中流域までほぼ五〇〇キロである。


はっきりはわからないが、ブッダはその距離を二往復ぐらいはしているのではないだろうか。


なぜそんなことにこだわったかというと、ブッダの教えは遍歴遊行の旅のなかで練り上げられたにちがいないと考えていたからだ。


仏教の本質と五〇〇キロの歩行きのあいだには深い意味がかくされている、と思っていたからである。


それならイエス・キリストはどのくらいの道のりを歩いたのだろうか。一〇年ほど前、イスラエルに行ってその足跡をたどったことがある。


イエスが少年時代を送ったところが北方のナザレ。そこからガリラヤ湖に出て、伝道生活に入った。やがてヨルダン川を下ってエルサレムにたどりついたが、ゴルゴダの丘で十字架にかけられて犠牲になった。そのナザレからゴルゴダまで、ざっと一五〇キロである。


ブッダの五〇〇キロとイエスの一五〇キロ、以来、それは仏教とキリスト教を比較する場合の重要項目一つに、私の目には映っていたのである。


ついでにいえば、親鸞は京都から越後に流され、罪を許されてからは関東の常陸におもむいている。晩年になって、ふたたび京都に帰ってきた。歩いた距離は往復で約二〇〇〇キロである。


道元も京都から越前の永平寺へ、そしてのちに北条時頼の招きで鎌倉に下向している。これも往復で約二〇〇〇キロ。


こんな事例をあげていけば、キリもない。


玄奘やマルコ・ポーロを思い出さないわけではない。だが、かれらは馬やラクダに乗って旅をつづけている。


しかしいずれにしても、酒井さんの回峰行による走行距離の総体にはとても及ばないのではないか、、、、。


つづく、



比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集 画 寺田みのる 小学館文庫



【山折哲雄】


昭和六年アメリカ生れ 京都市在住。


宗教学者 国際日本文化研究センター名誉教授 国立歴史民俗博物館名誉教授 

瑞宝中授章 京都市文化功労者。