❖行き道はいずこの里の土まんじゅう


昭和五十年(一九七五年)四月七日。


午前零時に起床、真言を唱え不動の滝に入り、加行(けぎょう)の滝では体を激しく動かし、身を清めた。


朝の勤行を終え、『死に裝束』といわれる純白の麻の浄衣の野袴、手甲脚絆を身にまとい、草鞋を素足にはいた。


首吊り用の死出紐を肩にかけ、降魔(ごうま)の剣と自害用短刀を腰に差した。


三途の川を渡るときの六文銭が入った『未敷蓮華』の笠を左に抱える。


さらに『手文』や供華などを入れた供華袋を肩から吊るし、右手に檜扇、左手に念珠を持った。


懐中には行き倒れになったときの備えに十万円の葬式代と、賛を認(したた)めた和紙を携えた。


箱崎文応老師の『後戻りは許されないぞ。気を抜くな。今お前が歩いている道が行者の墓場だぞ』の言葉が胸に響いていた。


千日回峰行は不退行。途中で止めることは死を意味する。


行く道の傍らに倒れ、明日は、土(ど)まんじゅうの下に眠ることになるかもしれない。それでも行こう。


そう決めて踏み出した阿闍梨さんの第一歩だ。


奇しくもその日は亡妻の命日だった。



比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集 画 寺田みのる 小学館文庫