❖自分が強くなること結局は


阿闍梨さんを頼って実に多くの方々が、飯室谷不動堂を訪れる。


『自分が強くなるということはとても難しい。けれどもそれしか道はない』と、いじめに悩んでいた少年に、あるとき、阿闍梨さんは言った。


阿闍梨さんが行をしたきっかけの一つに、自らの弱さと決別したいという思いがあった。


遺書も残さず死んだ妻のこと。


恐怖と絶望のなかで死ぬために飛び立っていった戦友たちのこと。


それらの辛い思い出は、何もできず、のんべんと生き延びてしまった惨めな自分の姿を否応なく突きつけてくる。


だから辛く苦しい体験を忘れたかった。


しかし、忘却はできなかった。まして自分の過去を捨てることはできない。


結局さ過去を甘受し、乗り越えるしかなかった。


それには自分が強くなること。嫌なこと、嫌な自分と向き合って、それを認め、乗り越えること。


そのゆえに難しいのだと少年に言ったのではないか。


その少年はその後、阿闍梨さんの生きる様をビデオに収め、ドキュメンタリー番組として世に発表して数々の輝かしい賞を受けた。


あのときの、阿闍梨さんの言葉を、穏やかな顔を、今も時おり、思い出しているのかもしれない。



比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集 画 寺田みのる 小学館文庫