❖こだらわなければ自然におだやかなになる


阿闍梨さんと一緒にいると、お母さんの懐に眠る子供のように穏やかな気持ちになるという一人の女性がおられる。


この女性にさ重度身体障害者の長男がおられ、まだ障害者にとって何の社会的援助もない時代から子育てをなさってきた。


相談する機関もなく、通わせる学校も施設もない。


それならば自分たちで、と、その設立の資金稼ぎに街頭での募金活動、早朝のアルミ缶拾い、物品販売など、風雨寒暖をもいとわず今日まで活動されてきあ。


長男が一人で街中にいるとき、見知らぬ人に『お前みたいな障害者は死んでしまえ』と言われたときは、あまりのことに二人で一晩中泣き明かしたという。


その篤志家があるとき、『何もほしいものはないが、できることなら冥土の土産に阿闍梨さんの白い浄衣がほしい』と思われた。


そしてあるとき、阿闍梨さんにその話を切り出そうとするが、世間話はいくらでも盛り上がるのにその話だけはどうもうまく言い出せず、結局、話せないままその場を後にした。


死ぬ準備などまだまだ早い。そんな阿闍梨さんの声が聞こえてきそうである。


物にも人にもこだわるな、必要ならばやがて与えられる。


それよりは、なすべき使命を見つめなさいと、阿闍梨さんは言いたかったのだろうか。



比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集 画 寺田みのる 小学館文庫