❖体でもって一生懸命祈ること


一般的に、回峰行とは歩く行と思われているが、実はそれだけではない。むしろ、礼拝行である。


『仏に華をたてまつれ』。平安初期の高僧・相応和尚も若い日に、毎朝夕、野の花を薬師如来に供えて祈った。


『法華経』第二十常不軽菩薩品には、常にいかなる人をも軽んじず、会う人ごとに礼拝、賛美した常不軽菩薩の話が描かれている。拝まれる側は気味悪がったり怒ったりするが、常不軽菩薩は、『あなたは菩薩の修行を行えばついには仏になられる方ですから』と礼拝を続けたという。


相応和尚は、このお経が好きだった。


ある夜、『比叡の峰を巡礼して山王の諸祠(しょし)を詣でて、毎日遊行しなさい。これこそ常不軽菩薩の行です』との薬師如来の夢告を受けた。


相応和尚は、そのお告げに従い、無動寺谷に草庵を結び、苦行練行の日々に入った。これが千日回峰行の始まりといわれる。


阿闍梨さんもひたすら礼拝して回る日々を過ごしてきた。口先でも頭の中だけでもなく、体でもって一生懸命に祈ること、小さな野の花やわはじめとして、自分を取り巻くすべてのものに祈りをもって接すること。これもまた行なのだと、阿闍梨さんの暮しが教えている。


比叡山・千日回峰行 酒井雄哉画賛集 画 寺田みのる 小学館文庫