(1141~1215) 臨済宗の開祖


 備中の人。14歳で比叡山に入り、その後2度にわたって中国に留学。臨済宗黄龍派の禅と戒を学ぶ。帰国後博多の聖福寺を拠点に活動を始め、鎌倉の北条政子など、幕府の援助で京都と鎌倉に活動の拠点を設け、禅の教えが認知されるようになった。



❖今日のことだけ、まず考えてみる。


人間は、先のことをあんまり考えすぎると、なにもできなくなってしまうんだよ。


千日回峰行も、明日のことを考えてしまったら、千日も続けられないんだ。一日目が終わって、『ああ、あと九百九十九日だぁ』なんて思ったら、『うあぁ、まだそんなにあるのか』という気持ちになってしまうでしょ(笑)。


行の極意と言ったらおかしいけど、『今』という時を大切にすると、それを積み重ねていくだけで、いつの間にか千日間が終わってしまうものなんだ。


例えば、出かける前に、『こうやって今日も出かけられるんだから、ありがたいなあ』と思い、草鞋を履くときには、『今、自分は草鞋を履くことができている。裸足で歩かなくてもいいんだから、ありがたいことだ』と思って出発する。歩きながら、『今、一歩ずつあるいている。険しい山の中を無事に一歩一歩踏み出せているのは、ありがたいことだなあ』という気持ちで歩く。


すると、一日が終わって帰ってきたときに、『今日も一日無事に終わりました』という気持ちになって、心から仏様に、『ありがとうございました』とご挨拶ができるし、『また、無事に明日も生きていたら、もう一遍回らせてもらいます』という気になってなってくるんだ。


それを毎日続けていると、気づいたら百日間が終わってしまい、気づいたら今年の分が終わって、『また来年もがんばります』というふうになる。そうこうしているうちに、いつのまにか千日間が終わってしまうんだ。


もし行を義務的にやっていたら、一日が終わったときに、カレンダーにひゅっと『×』印をつけて、『また明日もあるなあ、あと七百日もあるんだなあ』などと思ってしまうよね。ただ形式的にやっているだけになってしまう。


勉強も仕事も、みんな同じじゃないかな。『勉強なんて嫌だな』とか、『仕事が嫌だな。忙しくて嫌だなぁ』と思っていると、『今日はまだ月曜日か。今週は、あと四日もあるのか』とか、『明日、学校で嫌なことがあったらどうしよう』なんて思ってしまうんじゃない。


けれど、『世界中には、勉強したくても学校に行けない人がたくさんいるのに、学校に行けるなんてありがたいことだなあ』と思ったり、『仕事に就けない人がいる時代に、忙しく仕事をしていられるなんて、ありがたいことだな。今日も仕事があるのはありがたいな』と思ったりしていると、今日一日に感謝しながら過ごすことができる。すると、気持ちがだいぶ落ち着いてきて、気づいたら一週間、二週間なんてすぐに終わってしまうんだ。


明日のことをいくら心配してもしょうがないんだよ。『明日、嵐がきたらどうしよう』とか、『地震がきた日はどうなるんだろう』なんて、頭の中で心配ばかりしてたら、なにもできなくなってしまうからね。


明日のことを考えて不安になったり、嫌な気持ちになったりするのではなくて、今日一日を大事にしていくほうが、案外いいんだよ。



ー 今、自分が恵まれている点を、再確認してみたらどうかなー  酒井雄哉