☆東下り、寛永寺へ、、



(酒井雄哉大阿闍梨)

中山道をとっこと歩いていくと、恵那山トンネルといって、岐阜県と長野県を結ぶ、中央高速道路一長いと言われているトンネルがある。そのトンネルがある恵那山をずっと進んでいくと、途中に養老院があるんだ。その養老院に立ち寄って、お数珠あげたり、色紙に書き残してきたんだけど、おじいちゃんやおばあちゃんたちがすごく喜んでくれた。あの時は、すごくよかったね。


それから、長野県の飯田峠を越える時、願王寺というお寺へ行ったんだ。昔、伝教大師さんが巡礼する際、一気に山を越すのが大変だからということで、飯田に宿舎みたいなものをつくった。それがもとで、宿舎のあとに今のお寺が建っていて、近くに養老院がつくられている。道路だけは新しい道がつくられているんだけど、建物や雰囲気は昔のままで、未だに天台の寺なんだ。


そこには、困った人を助けて、それでみなさんのために奉仕しなさいという気持ちや姿が、昔から変わらず、ずっと残っている。誰かに言われたり教えられたりして、新しく福祉施設をつくったんじゃないんだな。


やっぱり、時代が変わろうが、どうなろうが、福祉的なことは百年でも二百年でもずっと続けていきたいよね。逆に言ったら、そういう福祉的活動をもっともっと発展させて、今以上に頑張って、困っている人たちに援助の気持ちを持っていきたい。無駄遣いしたら何にもならないけど、無駄遣いしたつもりで貯金箱へみんなが募金をしていけば、一つでも二つでもよいことにお金を使うことができる。やっぱり、そういう行動が必要じゃないのかな。


そんなことを思いながら、木曽川の上流をずっと歩いていったら、上のほうにダムがいっぱいできちゃってる。昔からこの土地にいる人から見たら、水嵩が少なくなってるから、昔の木曽川の面影がなくなってきたと思うんだ。今、自然というものを破壊してまでダムをつくっているじゃない。「自然を破壊して」と言ってるけど、「ダムからつくられる電力はやっぱり貴重なんとちがうかなあ」とも思う。


木曽川の上流を歩いていると、横っちょに中央線が走ってるんだよ。電気で走るんだからね。それを見ると、「電気がなかったら中央線は走れないしなあ」と思うんだ。昔は、ここを走っている道路も小さい道路だったけど、自動車が走るような道路にしちゃったから、長距離バスやトラックなんかが、ひっきりなしに走ってる。


その景色をずっと見ているうちに、なんとも言えない気持ちになっちゃうんだね。道路をつくったら、それだけ自然が破壊される。かっての木曽川といったら、筏が流れるぐらいの川だったのが、今の木曽川の水は、すーっとしていて、サラサラ、、、、っと流れてなかった。だから、自然を大切にする線から考えたら、問題になることだよね。だけど、文化とか科学とか、そういう観点からものを考えると、「今の状態もあり得ることで、しょうがないんじゃないの」と思うんだ。昔だったら、今の僕がとことこ歩いているのと同じで、新宿から長野や甲府まで、何日もかかって旅をしていたのが、何時間かで行けるようになった。


だから、ダムをつくることがいいとか、道路がどうとか、悪いとか、どっちとも言えないな。そういうことを考えると。「自然とダム建設が共存するような方法を、模索していかなきゃならないんじゃないかなあ」と思ってね。


これからの時代、もっと大きな視点に立って、必要なものは必要なものとしてつくって、必要がないものはつくらなければいいと思うよね。そして、必要なものだけ残してやっていけばいいと思うんだ。そのためにも、いろんな人が話し合う必要があるんじゃないかな。


次回、東北巡礼の旅、、


続く、



【中軽井沢宿】

十六日目、確井峠へと一行は黙々と進む。頂上の熊野神社では十メートル先が見えない濃霧である。三時、松井田町役場に入る。お加持と、法話、阿闍梨は正に超人であると一同があらためて思ったという。妙義山を南に望み松井田の宿に入る。


【松井田宿】

十七日目、安中市役所前で市長の出迎えをうけ、多数の人びとがお加持を待つ、東光院三輪住職の案内で高崎市入り、学校がえりの小学生がランドセルを背に阿闍梨のお加持の場所まで走って来て座る。関東の空気が一行の気分を変える。いよいよ東京の宮城が間近に迫ったという実感だ。



(広厳山般若浄土院浄法寺 群馬県藤岡市)

(伝教大師金色尊像)

(相輪橖)


【高崎宿】

十八日目、十月六日午前七時半、群馬の森で最初の休憩、鬼石町浄法寺へはバスに乗る。天台宗群馬教区の信者の方ほか、二百人程が出迎える。伝教大師関東巡錫のみぎり、国家鎮護の宝塔が建立されたのがこの浄法寺で、今も残る。再び新町へ戻り、中山道を東へ歩く。


【深谷宿】

十九日目、深谷から上尾まで四十キロ、台風二十一号接近、この旅三度目の台風襲来である。上尾の徳性寺伊藤住職が断食修行をして阿闍梨を迎える。数百人にお加持。風雨の中を上尾の宿へ。


【上尾宿】

二十日目、台風二十一号で大荒れ。ずぶ濡れの中、大成建設大宅工場でお加持、大宮市氷川神社、廟信寺、浦和調宮神社、和楽神社などを参詣ののち川口市役所へ。暴風厳しい中、川口宿へ。


【川口宿】

二十一日目、十月九日(火)、いよいよ都心に入り、上野寛永寺まで二十二キロのコースである。荒川堤防の広場で休憩したが、よくもここまで来たものかと感慨無量。新宿の高層ビルを眺めつつ歩く。交通信号で停止の時間も多く歩行をととのえるのに苦辛。やはり都会は歩きにくいのか、空気の味も違う。戸田橋から東京都へ。白装束の一行に不思議な目を注ぐ人、全く無関心な人、迷惑顔の人も中には。氷川神社を経て天台宗正法院へ。住職の田嶋章江大僧正のご配慮がいきわたり巡礼者を迎える多数の方々と心の交わりの深まることに感激、最後の立ち寄り地、駒込学園に入る。全校生徒が熱狂的に出迎える。駒込高校は天台宗立の学校であり中学を併設しているが、毎年比叡山研修を行い情操教育に力を入れている。十五時三十分寛永寺に入る。沿道には一キロほど出迎えの老若男女であふれている。お数珠を頭に当ててお加持するのに、思わぬ時間がかかる。ご本尊に報告の読経、酒井阿闍梨は力をふりしぼってお加持した。全行者、苦楽を共にした随行者は互いに抱き合って泣き、道中のお加護に感謝した。

こうして、二十一日間、七百五十キロの巡礼の旅は終わった。翌日、酒井阿闍梨は回峰行者の正装を整えて皇居宮域に参内した。そして、午後、日本武道館に五千人の人びとが参集し、心のつどい、法話の集会を催し、全日程が終了した。



(天台宗関東総本山 東叡山寛永寺円頓院)




参考文献


人の心は歩く早さがちょうどいい 酒井雄哉大阿闍梨 巡礼記

酒井雄哉  著  PHP研究所


花咲け 人咲け 命咲け 歩けなくても 心咲け

小林隆彰  著  紫翠会出版






【酒井雄哉語録】


ありのままの自分としかっと向き合い続ける


「生き仏」なんていわれると、ぼくは気を付けないといけないなあと思う。たまたま比叡山に来て、比叡山に拾われて、比叡山で行をさせてもらったっていうだけのこと。一二〇〇年の歴史あり、大きな舞台で行をさせてもらった。だからみんなからすごいと言われるんだ。普通の人と何も変わらないよ。


だって、同じことをたった一人で名もない山でやったのだったら、そんなことを言われるかい? それなのに、みんなから「仏様」だなんて言われて、そうですかっとふんぞり返っちゃったら、仏さんは怒るよねえ。


講演などの仕事でホテルへ行くでしょう。入り口にボーイさんが立っているじゃない。小さくて古い車で乗り付けると、事務的に「ハイ、駐車場はあっち行ってこっち行って」ってぱっぱといわれるんだけど、いい車に乗せてもらって行くと、じつにうやうやしく挨拶され、丁寧に説明してくれたりなんかしてな。へえ、と驚くよ。結局、人はそんなもの。表面で見ちゃうんだな。



周りの自分への対応が変わると、自分が偉くなったような気がしちゃう。それ相応に扱ってくれと言いだしたりね。そうなるとおごりが出てくるし、自分の心を磨かなくなる。現実に今とらわれている世界だけでもって勝負しようとしてしまうから表面ばかり気になるが、人生は見えている世界だけではないからね。


自分の地金は自分が一番よう分かっているでしょう。大事なのは、人からすごいと言われることじゃない。人間は金持ちでも貧乏でも、頭が良くてもできが悪くても、だれでもいつかは死ぬ。死んだら終わり。だれも変わらないんだ。大事なのは、今の自分の姿を自然にありのままにとらえて、命続く限り、本当の自分の人生を生きることなんだな。

一日一生